私は御言葉出会う約2ヶ月程前から
「ミニテニス」というスポーツを始めました。
「ミニテニス」と聞いてもご存じない方がほとんどだと思いますが
簡単にご説明すると
『ニュースポーツ』の一種で
子供からお年寄りまでできる生涯スポーツだと言われています。
普通のテニスに比べるとラケットの長さも柄が少し短く、ボールもビニールボールで少し大きく
その他違いが多々あります。
生涯スポーツとはいえ
これがものすごく奥が深い
初めて練習風景を見たときは余りにもビュンビュンとボールが行き交っていたので唖然としてしまいました
なぜ私がこのスポーツを始めたかというと、
実は一番大きなきっかけが「脳」でした。
私は御言葉を読むまで、脳がちゃんと働かない。物忘れが多い。などの症状で、誠に恥ずかしながら真剣に悩んでいたのです。
RAPTブログの御言葉を読まれてる方なら原因がすぐにお分かりだと思いますが、
当時私は解決したいという一心で
本やネットを読み漁っては書いてある事を試したり、良質の油が良いと言うから食事を変えてみたり、計算問題をしてみたり、色々試しました
でもどれも続かず。
脳神経外科に本気で行こうかと思ったところで
「脳を鍛えるには運動しかない」と本で読み
運動不足を自覚していた私は、原因はこれかもしれないと思い、何か続けられる運動がないか探しました。
ちょうどその時、娘が3年続けた新体操を辞めた時期で
親子でできるスポーツはないかと求めてから1ヶ月後位でしょうか
驚くことに、家から5分もかからない距離で、このミニテニスが出来る場所があることを知り、しかも大人の部活という感覚で、お金もそんなにかからない、このスポーツに巡り会えたのです。
私は、小さい頃から体を動かすことが好きで、クラブや部活も「運動系」しか考えられないと思うほどのスポーツ大好きな子供でした。
しかし中学の時に軟式テニスに入部し活動して以来、スポーツというスポーツはしていませんでした。
なので、「またテニスやりたいな」と心のどこかでずっと思っていました。
ミニテニスをやり始めた時はまだ御言葉に出会っていなかったから気付きませんでしたが、信仰生活を行うほど、このミニテニスが神様が与えて下さったものだと思え、このスポーツに対する思いも変わっていきました。
このミニテニスが神様が与えて下さったと強力に感じる出来事がありました

まだ始めて一年弱ではありますが、信仰生活を行うと共に、ミニテニスというスポーツに対する考え方や関わり方、悟りの変化などがあり
RAPTさんが「スポーツは悟る」と仰られた意味が行えば行うほどに分かっていきました
2017年10月27日(金)
塵のような小さな罪まで悔い改めて、世界を変えるような大きな働きを成しなさい。
私の脳や体、考えがどのように変化していったかをお伝えしていきたいと思います。
まず第一段階、「筋肉痛との戦い」
先程もお伝えしましたが、大人になってから運動を全くしていなかった私は、完全な「運動不足」でした。
ミニテニスをしている時は、頑張って球を捕りたいので割と動けるのですが、次の日から6日間ずっと筋肉痛という、何とも情けない状態が1ヶ月続きました。
不思議な事に週一のテニスの日には必ず治ったのですが。
私は当時、この状態が一生続くのではないかと、自分の体がこんなに衰えていたのかと感じ怖いと思ったほどでした。
この初めた時の激しい筋肉痛は、神様のお考えを知り、人間やサタンの考えから抜け出す時のあまりの衝撃のようにも思えました
しかしそんな筋肉痛も一ヶ月経ってピタッと治まり、このように体力がついていくのだと感じました。
その頃位から御言葉を読み始めた私は、義の条件を立てていくことを手探りで行っていきながら、週1で2時間ミニテニスをするという生活リズムがついていき、
またテニスが信仰生活のチェック機関になっていることにも気付かされました。
第二段階、 「間違った体の癖を捨てる」
私が中学の頃行っていた軟式テニスとミニテニスでは、実は違いが多々あります
特徴的な点を挙げると
ミニテニスはテニスのようにただまっすぐにストレートに打つのではなく、基本、回転をかけてボールを下から上に擦りあげながら、弓なりにボールが落ちるように打つのが強い球(スマッシュ)を打つ重要な要素になります。
なので今まですることのなかった手首の動きも必要になります。
しかしそれがなかなか出来ないのです。泣
なぜかというと、ソフトテニスの癖や間違った体の癖が自分の中に染みついているからなのです
ミニテニスをしている方の中にも、過去にバレーやバトミントン、卓球など、スポーツをされていた方が多く、本気ですればするほど、その癖がその人の長所となったりまた短所となったりすることに気付きました。
私もそのうちの一人です。しかしソフトテニスの癖を引きずりながら行うと色々と支障が出たり、頭が混乱することに気付き、一度自分の中の癖を捨てなければいけないことに気付かされました。
それはまさにRAPTさんが日々仰られる
『一つも古い自分を残さずに完全に新しく生まれ変わりなさい』
との御言葉に共通することだと思ったのです。
この、自分の中の「古い癖」との戦いが、信仰生活において
- 人間の考えを捨てること
- 古い考えを捨てて新しく生まれ変わること
- 成長し続けること
と、本当にリンクするのです。
しかし信仰を始めたすぐの時は、人間の考えを捨てることが、それ程難しいことではないのではなんて考えていました。。
そんな自分が恥ずかしい位、ミニテニスで思うように行かない自分と戦うことで、信仰生活がそんなに簡単なものではないことに気付かされるのでした。
私のこのミ二テニスでの目標は
「古い癖、間違った体の癖を全て捨てて正しい癖をつけ習慣化し、成長し続ける」です!
そう、まさに信仰生活そのものなのです。
そして明らかに信仰生活を行うほどに上達度が上がっていくのが分かりました。
初めはガチガチだった体も信仰生活と主に徐々にほぐれていくのが分かりました。おそらく脳から間違った考えが抜けて神様の考えが入るほど脳の回転が早くなるのと共に、体も軽くなるのだと思います。
そしていかに練習中、神様に求めるか。求めるか求めないかで集中力が違うのを感じます。
私が通っているところは、2時間のうち30分程の練習をした後の残りの時間は全て仲間同士の「試合」の時間となります。
この頃の私はとにかく「勝つ」事を目標に行っていました。
だから「相手のミスも嬉しい」 逆に「自分のミスは悔しい」
とにかくどんなことでも勝てれば嬉しい。
という心持ちでした。
第3段階、怠惰へ
そんな中、途中から明らかに私は間違った方向にいくことに。。
実は信仰生活が幼く、途中まで信仰生活を行うにおいて運動して体力をつけることが大切だと知らなかった私は、ある程度ミニテニスが板についてくると、
「お祈りをするのに支障をきたしてしまうから今日はあまり本気でやらないようにしよう」
などと考え、しばらくの間怠惰に行う日々を続けてしまいました。
テニスをしていても、心ここにあらずの日々が続き、勿論悟ることもほとんどありませんでした。
そんな自分に火がついたのは
運動して体力をつけることの重要性を立て続けに御言葉で読んだことと、更に
「神様から与えていただいたものは神様にお返ししなさい」
との御言葉を読んだからでした。
http://rapt-neo.com/?page_id=45391
この時、自分の間違いに痛烈に気付きました。
またちょうど兄弟姉妹の証で、スポーツで神様の栄光を表そうとされている方の証を読んだのもきっかけでした。
それまではミニテニスに関するお祈りをしたことなど1度もなかったのですが、その日から本気でこの分野でも頂点を目指そうと求め、ミニテニスに対する姿勢を一転したのでした。
ミニテニスで頂点を目指すことで、体力もつき、信仰生活においてもより次元を上げられるのではと思ったのです。
実はソフトテニスとの大きな違いのつが、ミニテニスは「カット」や「スライス」を駆使するスポーツだという点です。
ソフトテニスではカットなんてしたことほとんどありません。
しかしミニテニスでも、しないスタイルの人もいます。
- 1.カットをせずにひたすら鋭い球を打つタイプの人
- 2.攻めるよりは打ち返してひたすら守り抜くタイプの人
- 3.コース人がいないところを攻める人
私は1にたまに2が入るようなタイプです。なぜならカットが打てないから。
正直、上手な人がカットやスライスを使いこなし、バンバン・ビュンビュン打ち合っている光景を初めて見た時
自分とは全く住む世界が違う人のように思ってしまいました
神様には申し訳ないですが、まだ信仰をもってなかった当時の私は、まさにその上手な人と自分とでは「天と地」ほどの違いに思えたのです。
ですが本気で頂点を目指そうと決心した私は
「カットやスライスを使いこなし、ボールを自由自在に主管する」
事を目標にミニテニスに取り組むことにしました。
そして求めました。
第4段階、頂点を目指す
ここからが本当の「自分との」戦いです。
本当にそう簡単なことではありません。行えば行うほど課題が見つかりますし、頭では分かっていても自分の体が思うように動かない。
うちの部は、すぐに試合に入ってしまうので、基本手取り足取り教えてくれることはありません。なので自分から研究、追求していかなければなりません。
「なんであの人はあんな角度のバックハンドのカットが打てるのだろう」
など、出来る人を見ては研究する日々
そう思ってると先輩から思わぬヒントを戴けたり。また今まで見たこともなかった実技を教えてもらえる講習会なるものが予定表に入っていたり、私は即予約しました
神様は求めると与えてくださる。しかし求めなければ与えられないのだとこのミ二テニスを通しても実感しました。
そしてヒントが与えられる度に実践するのですが、私は思うのです。
その体の動き自体はそんなに難しい動きではない。ちょっと腕の角度だったり体の角度を変えればよいだけなのではと。
でもそれを実践して成功し、「やった!」と喜んで
次の週行くとその感覚を忘れている。
その繰り返しなのです。
ある時私は先輩に、「なんでこういうカットが打てるのですか」と聞きました
すると
「上手に打ち返そうと思わなくていいのよ! 来た球を適当に打ち返したらちゃんと行くから!」
なんて言われ、心の中で
「いやいやそんなわけないだろう。そんな言葉真に受けてはいけない。」
とすぐに思いました。
ですが後から私は気付きました。
その先輩は私より遙かにミニテニス歴が長く、週に練習する日も私はたった1日ですが、その人は週3日はしています。
要するに、この速さの球が来たらこう返す。この高さの球にはこのカットが良いなどと、
体に正しい癖が染みこんでいるのです。
これはやはり信仰生活にも言えることで、
本当に信仰生活においても、正しい習慣、良い習慣をつけることが大切なのだとこの時改めて気付きました。
最近の私はカットばかり練習していましたが、そうすると鋭い球を打つことを忘れてしまったり、コース人のいないところをを狙うことを忘れてしまったり。
まるで御言葉に夢中になると聖書を読むことを怠ってしまったり、数ある御言葉の中でもある事に集中すると別のことを忘れてしまったり。。やはり信仰生活においても今の自分のようだと思う日々です。
でも、これに気付く事ができたことが幸いです。
そのようにして忘れては取り戻し、意識し、祈り求め、実践するうちに確実に上達するのを感じています。それを繰り返すうちに完全になるための良い習慣がついていくのだと思いました。
また、テニスにおいても信仰生活においても自分の弱点に気付かされ、それをどう克服するかも、次元を上げる上で重要だと気付きました
また、カットも一種類だけではなく、 来た球によって使い分けなくてはいけません。
速い球にはこういうカット、低い球にはこの打ち方などという具合です。
そして色んな技や攻撃法を身につけ、また対処法も身につければそれだけ勝率も高くなります。
初対面の相手と戦う時、瞬時に相手の癖を判断し、備えます。相手が技が少なければそれを守り抜けばいいが、色んな技を仕掛けてきたらそれだけ手こずります。
それは、まさにサタンとの戦いにも似ているのではと思いました。
RAPTさんは今まで沢山の人間及び霊的サタンと戦い抜いて来たからこそ、どんなサタンがきても打ち勝てるようになりました。
なのでミニテニスにおいても、カットだけでなく、スマッシュの打ち方、サイドを狙うときの打ち方、その他あらゆる打ち方や攻め方、また守り方を研究していかなければなりません。
そうやって頭を使うことも脳を活性化させます
始めた頃は、相手にカットを打たれるともう翻弄されてしまい、頭がゴチャゴチャになっていました。今では打つ瞬間にこっちに曲がるから動かねば!と判断し、相手のカットも怖くなくなりました。
次は守るだけでなく自分がどう攻めるかを研究中です
今、テニスを初めて一年弱ですが、他のチームとの練習に行くと、どうやって練習してるのかと言われたり、自分でも上達したのは感じます。
ですがまだまだほんのひよっこだと、自分で自覚しています。
御言葉を読み始めて、本気で個性才能を伸ばそうと、古代史を勉強したり、裁縫をしたり本気で行えば行うほど、なかなか思うように成長できない自分がもどかしくて仕方ないという思いの日々
しかし何事も急激に上手くなることはあり得ないんですね。そこがもどかしいところです。しかしだからこそ真の実力がつくと信じ、神様に祈り求め、御力を戴き、努力するのみです
3歩進んで2歩下がるを繰り返しながら、確実に成長していくしかないと。
また、今まではただ勝つことを目標にしていた私でしたが、変わりました。
基本試合中心なので、勝つことだけを考えていると、まだ成功する割合が低いカットを練習する余地がなくなってしまうのです。
ですから本当に上達するためには勝つことを一旦手放さなければなりません。
それからは
『いかにコツを掴むか、自分を成長させるか』
を目標にし、例え失敗しても、少しでもコツを掴めたと思ったらものすごく嬉しい。
相手のミスなんてどうでも良くなりました。むしろ下手にミスされてしまうと試合が早く終わってしまうから残念にさえ思います。
ですが試合中にカットの練習をするのも簡単ではなく、ミニテニスは基本ダブルスで相手がいるスポーツです。
なので
「挑戦する」自分との戦いでもあるのです。
明らかにカットに適した球が来てるのに挑戦せず、普通に返してしまったとき、神様がせっかくチャンスを与えていただいているのに答えられなかった自分のようにも思え、ものすごく悔しい。
また年に数回、他のチームと戦う大会があるのですが、その大会での試合が毎回出る度に新たな悟りを与えていただき、いつもの練習よりもその悟りがより大きいことに気付きました。
その理由が分かりました。
それは、大きな大会の時ほど、それだけ神様に求め、すがりついているからです。
この時のことはまたアップしていきたいと思います。
あ、大会での試合は本気で「勝ち」にいきます。
ですが、試合では練習以上の力は出せないのです。練習でいくらバンバン強いスマッシュを打てる人でも、試合になると打てなくなる人は沢山います。試合でもそれが出せるということは、それだけ練習を積んでいるということに他ならないと思います。
だから、練習でも120%位の本気で練習しなければいけない。それは信仰生活においても同じだと思いました。普段から本気で走らなければ神様やRAPTさんのスピードについて行けなくなってしまいます。
このスポーツを通して体力がついたり、脳がイキイキしますので本当にやって良かったと思えました。脳に関しては御言葉のおかげが大きいと思います。
ですが一番良かったと思える点は、神様に求めながら自分を成長させようと思えること。
そしてその事を通じ、肉的な技術だけでなく霊的な悟りも得られることです
一時期間違った認識をして怠惰になってしまった時は、テニスの時間になる度に、「今日は休もうかな」と思ったりしていましたが、神様のために上達するんだと考えを改めてから、実践するほどにもうテニスの時間が楽しくて仕方なくなりました。
これを知るのと知らないとでは心の持ち様が全く違います。
知らなかった時は悟りもそこまでなく、ただ淡々とこなすのみで、喜びや逆に悔しく思うこともそこまでありませんでした。
でも今は悔しいの連続です。しかしその分喜びや神様に対する感謝が溢れてきます
先日、このミニテニスの体験会を行い、自分が教える立場になり、初めての方とお話しする機会がありました。その方は「奥が深い!頭が混乱するー」と言っていましたがとても楽しそうでした。
ちょうど一年前、私もその体験会を期にテニスを始めた時、まさに同じ事を思っていたのを思い出しました。
こんなに面白いのにテレビで取り上げてくれないんだよ~と部長が発した言葉で私はハッとしました。
このミニテニスを私が極めて広げる者となれば、神様の世界を広められるかもしれない。と頭によぎりました。
ただ、今私は古代史、裁縫、など他にも神様が与えて下さったと思うものがあり、ひたすら今は全てにおいて実力をつけることに集中しています。
ですが大きな目標を持ちなさいとRAPTさんが仰ってくださったので、目標を大きく持ち、前進していきたいと思っております
私は御言葉を聞く直前まで、心のどこかでは何か自分にしか出来ないことをしたい。そういうことを仕事にしたいと思いながらも、やっぱり自分には出来ないや。と諦めていました。その諦めたところで御言葉に出会い救いの道を知ることが出来ました。
ですので神様の世界を知り、ひたすら義の条件を日々立てることが何よりも私の喜びなのです。
そして救って下さった神様に感謝をしたいという思いで過ごしています。
こうして神様からヒントや御力を与えていただき、自分自身を成長させることで恩返しし、神様と愛を成す喜びを知ることが出来るからです。
神様の世界を知った上で物事に取り組むと、こんなにも考え方が変わり、行動も変わると言うことに気付きました。
貴方が取り組んでいることや趣味なども、神様のお考えを知り、考え方を変えるだけで全く見え方が変わってくるかもしれません。
沢山の人が神様の世界やお考えを知り、本当の意味で満たされますように。
一人に必ず一つ神様が与えて下さっている御心を、皆が気付き、神様と愛を成していく世界が広がりますように
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