子供が起こしたある“ズル”によって、自分の課題が沢山見つかりました

双葉

2019.12月の出来事です

信仰生活を始めてからと言うもの、子供に接する時間がだいぶ減りました。

前の証にも書きましたが、宿題も下の子のはお姉ちゃんに見せている状態で、要所要所分からないところは見てあげているような日々です。

そんな中、我が家である”事件”が起こりました。事件といっても端から見たらちょっとしたことかもしれませんが、私にとっての成長に繋がる出来事となりましたので、書かせていただきたいと思います

私の子供は女の子が2人います。

その下の妹が宿題で、ある”ズル”をしました。

小学校1年生の妹の宿題は、「計算カード」という、計算式の書いてある単語帳のようなものを計算していき、タイムを記録するというものです。

毎日計算カードをめくりながら答えを発する娘の声は聞こえてくるのですが、繰り上がりの足し算や引き算になってから、手こずっていた割には答えるスピードが早くなったな。とは思っていました。

するとあるとき長女が、

妹が計算カードの答えを数字が大きい順に並べ替えてタイムを早くなるようにズルしてる!!」と私に報告しにきました。

 

私はその瞬間正直すごくショックでした。

一瞬、私が子供そっちのけで自分のことばかりしていたからかもしれない、子供の事をちゃんと見てあげなかったからかもかもしれない。と、頭をよぎりました。

 

でも、私が夢中になってしていたことは、自分のこと以上に、神様のことです。

 

私は思い直しました。

いや、これはそもそも娘が「人に見られなければ不正をしてもいい」「自分の本当の成長よりもうわべだけ装えばいい」という考えがあるからだ。と思いました

 

しかし、正直私自身小さい頃、こんなちょっとした”ズル”をした経験何度もあります。実際もし御言葉を読んでいなければ、自分もこんなことあったなぁと考え、「ダメだよ!」くらいで済ませていたかもしれません。

ですが神様のお考えや神様の世界を知った今、この娘の行為がどうも許せなかったのです…

 

私は娘と2人きりになり、娘に

「お母さんが見てなくても神様は見ているんだからね。」

「悪いことしても神様は必ず見ているからね。」

と言い、その場で計算カードを一度させました。するとズルして書いていたときのタイムより1分も遅く、私は

「ほら、ズルしてうわべだけ繕ってる間に本当の成長が遅くなるんだよ」

と言い、またその場で計算カードを10回やらせました。すると1回目より10回目のタイムの方が少しだけ早くなっていました

「これが本当の実力がついたって事なんだよ。ほら、まっとうにちゃんとやれば確実に実力がついたでしょ」

「うわべだけ繕っても何も意味が無いの!」

 

なんて説教をしながら、その日はもやもやした気持ちを引きずりながら寝ました。

こんな日こそお祈りして神様にお話しないと、と思ったのですが、

 

あろう事か、その日の明け方起きることが出来ず、お祈りができなかったのです。。。

 

翌日また娘に10回やらせると、今度は「なかなかタイムが上がらない」と言ってきました。

 

私は「真の実力はそう簡単につくものじゃないの、本当に成長しようともがいて努力する人しか真の喜びは手に入れられないの!

 

と、普段御言葉を聞いてるのですらすらと言葉が出てくる。

 

しかし私はふと、そんな言葉をすらすらと発しながら

 

「本当に自分はこれらのことを自信を持って子供に言えるのだろうか?」

 

と自問自答しました。

 

「いや、言えない…」

 

私はこの瞬間、これらの出来事は、実は私に何か気付かせるために起きたのではないか。

むしろ本当の問題は子供でなく、私なのでは、

「もしかして自分にとんでもない罪があるのでは」

「まだ向き合っていない問題があるのでは」

と一瞬にして冷や汗状態になりました

 

もう子供のズルなんてどうでもよくなりました。

自分自身を振り返り、あれかな、これかなと探しまくりました。

例えば私は御言葉を読む前、人の目を気にして生きてきた部分が少なからずあったので、信仰を持ってからそこを直すのが課題でしたが、まだ捨て切れてなかったのかもしれない。とか、

 

とにかく思い付くものをその日お祈りの中で神様にお話しし、悔い改めました。

しかしそれだけではダメだ、もっと形で表さなければと思い、そのまま寝ずに朝までかけてブログを立ち上げることにしたのです。(それがこのブログであります)

翌日無事立ち上がったのはよいのですが、

 

その後のデザイン・その先の作成手順のことを全く考えていなかったのです……

そう、これが起きたのは昨年12月半ばの神様の裁きのまっただ中。

そこからが私にとっての試練の始まりでした。

 

真の実力はそう簡単につくものじゃない、本当に成長しようともがいて努力する人しか真の喜びは手に入れられない」と

娘に言ったことそのまま自分が味わうこととなったのです。

 

翌々日くらいに、一日中空いてる日があったので、この日にある程度ブログ作りを終わらせようなんて軽く考えていたのですが、もともとパソコンの知識があまりない私は、やればやるほど知らない用語が出てきたり、次から次へと問題がでるわでるわで、その日もう頭がパンクしそうになりました。

 

久しぶりに「疲れた」と思いました。

 

夕方になり、夕飯の支度をしなければと思い、沈んだ気持ちを引きずりながらキッチンに立ち、御言葉を聞き始めまた。いつも料理を作る際は御言葉を聞くのが習慣になっているのですが

 

私は現在朝会の過去御言葉を順に聞いているところで、その時は2018年2月の御言葉でした。

RAPT | RAPT朝の祈り会(2018年2月分)

まさに、その時の私にぴったりな御言葉で、もう私に対しての御言葉ではと思うほどでした。

そこでも、パソコンやスマホくらい使いこなせないとダメだとRAPTさんが仰られ、

「あぁ、こんなんじゃRAPTさんや神様について行くことができないじゃないか」と思い、自分の不甲斐なさ、至らなさ、実力のなさを実感しました。

 

でもその時の御言葉を聞き、私の本当の問題は実力が無いことだけではないことに、気付きました

 

その日はしっかりお祈りしました。

 

次の日、ふと図書館で借りたままほとんど読まずにいた「Wordpress」の本を手に取り読みました。

その本は、それまで何回開いても分かり辛いと思い、ろくに読んでいませんでした。

 

ですがお祈りした翌日その本を読むと、ビックリするほどすらすらと頭に入ってくるのです。前日パンパンに詰め込んだ用語などが読むほどに整理されて頭に入ってくる。

 

この時、お祈りの力を痛感し、やっと、自分の本当の問題と向き合うことを決意したのです。

 

そう、私の本当の問題は

 

明け方のお祈り」です。

 

ブログを立ち上げるときも、ちゃんと神様に報告せずに、勝手に「今だ」と思い、決行してしまいました。

 

実は私はお祈りするとき、出来るときはしっかりできるのですが、終わった後も頭が冴えているのでついつい朝方まで何か作業をしたり、ネットをしたりしてしまい、すると翌日の明け方起きれない。ということがよくありました。

しっかり祈れる→起きれない

を繰り返す日々が続いていて、どこかでダメだと思いつつ、勝手に自己肯定し、甘えていました。

11月11日も、起きれなかったのです。でもその時は、本当の意味で悟る事ができませんでした。

 

 

ですが実はちょうどその時期、兄弟姉妹が「生活習慣を変えたらお祈りがしやすくなった」と、ご自分の至らぬ所とちゃんと向き合われている証を拝見したとき、私は自分が今まで避けてきたことを思い知らされ、ものすごく恥ずかしくなったのです。

それに輪をかけて今回のことが起こり、この12月の裁きで本当に変わらなければいけないのはここだったのだと、やっと向き合うことが出来ました。

 

そして生活習慣を見直してみると、改めて自分が生活中心だったり、肉的に流されていたことに気付きました。

人間的な考えで、お風呂の時間は何時以降じゃないと、と思い寝る時間がずるずる遅くなったり、寝る前に作業を始めてしまい寝るのが遅くなってしまったり…

 

やっと悔い改め、それ以降は、何が何でもお祈りの時間だけはと考え、だいぶ改善することができました。

一連の事を通して、神様が私に教えて下さったのだと思います。

 

ですが、この子供の事が起こる少し前から、そろそろ子供にも伝道していけたらな。と思っていて、お祈りの時間に「子供に御言葉を伝える機会をお与え下さい。」「正しい教育が出来ますように」などと、ちょうどお祈りをしていたところだったのです。

一瞬修羅場のようになりましたが、結果的に子供に正しい生き方について教える機会になりました。

 

ですのでこの事は、いくつもの意味を持つ出来事になり、子供にとっても自分にとっても間違いを改め、より正しく生きるきっかけにもなりました。

 

しかしながらそれからも、このブログを作るにおいて、何度も「もうダメだ!神様パソコン教室に行かせて下さい!」心の中で叫び自分一人でやることを投げ出しそうになりました。

私はパソコン教室に行って、手取り足取り教えてもらえば、より早く理解してブログもスムーズに出来るようになると人間的に考えていたのです。

しかしよっぽどパソコン教室に通うことは私にとっては御心ではなかったのだと思います。

 

しかし「もうダメだ!」と諦めそうになったときに、答えになるサイトが見つかったり、

また問題が出て「パソコン教室に行かせて下さい!」と神様に訴えるとまた答えが見つかりました

 

それが何度あったか。

まるで神様がすぐそばで私を見守って下さり、ダメな私を憐れみ、導いてくださり、その度に答えを与えていただいていたようでした。

決して一人で行ったのではなく、神様に御力を与えていただきながら共に行い作り上げていくことが出来たのだと思っています。

 

また、ある事が解決せずにずっと悩んで停滞していたとき、その時の御言葉を聞くことで先へ進むことが出来ました。

この御言葉を聞いたとき、初めは「軌道修正をすると言ってもこれ以上どうすれば。。」

と思いましたが

「一度今のこだわりを捨てて、やめてみて違う方法で進めよう!」と思い直し、スムーズに進むようになりました。

全てにおいて、御言葉がなければ為すことはできませんでした。

 

まだまだブログやパソコンに関する課題は沢山ありますが、これから伝道するためにも、何をするにおいても必要になると思い、お祈りをして求めたら良い本に巡り会えました。

 

私のこんな困難など、困難のうちに入らないかと思いますし、これからもっと沢山の艱難があると思います

しかしRAPTさんも御言葉の中で言われているように

何か問題にぶつかった時、その時は「何でこんなことが!!」と思い苦しむことが誰でもあると思います。ですが、神様を信じ、御心を行うためにと日々必死で生きていれば、その解決方法を神様が導いて下さり、また乗り越えることでより神様への愛と信仰が深まり、霊も肉も次元を上げていくことが出来るのだと思いました。

そう考えると、今まで神様の御心を為す為に数え切れないほどの困難を乗り越えてこられたRAPTさんがどれだけ次元の高い方であり、それだけ神様の愛が深いことを、自分のこういった経験からも思いはかることができるのです

しかし、私が色々な経験から悟れば悟るほど、余りにRAPTさんが偉大に思え、遠く思えてしまいました。それでももっと神様やRAPTさんに近づきたいと日々成長したいと願っています。

そして兄弟姉妹の方々も、数々の困難を乗り越えてこられたことと思います。これからも共に神様の御心を為す為に成長していければと切に願います。

御言葉に出会っていない方も、神様の道を知るのと知らないのとでは人生がまるで違います。神様の願いは「人々を救うこと」。本物の愛がなければできません。

この目標に向かって共に神様の道を歩む人が一人でも多く現れることを願います

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