製鉄と悪魔崇拝者の歴史①シャーマニズムは土地を奪うための詐欺だった

悪魔崇拝者の歴史を調べていると、『鍛冶』『製鉄』といかに密接に関係してきたかが見えてきます。

彼等は武器や戦車、道具などを作りながら漂流生活を送った来た者達なので、ある意味当然のことかもしれません。

しかしこんなこと学校では習いませんよね。

今回は、そんな製鉄と悪魔崇拝者の歴史について、書いていきたいと思います。

『製鉄技術』を独占してメソポタミアを支配した『ヒッタイト』

一般に、ヒッタイト人が製鉄技術を発展させた民族の祖だと言われています。

ヒッタイト人は、紀元前20世紀頃、現在のトルコ(当時はアナトリア)に民族移動してきて、

『ハッティ』や『アッシリア』と混ざり合ってメソポタミアを支配する強大な勢力を誇ったそうです。

ヒッタイト人は、カスピ海周辺にいた民族が移動してきたと言われています。

http://cho-inoshikacho.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/dna-c389.html

ヒッタイトといえば、『インド・ヨーロッパ語族』であり、『アーリア人』となり、後の『秦の始皇帝』となる一族を産みだした『秦氏』に繋がる悪魔崇拝者達です。

RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。

ヒッタイトと製鉄について、以下 こちらから一部抜粋します。

鉄は銅よりはるかにその埋蔵量が多いのです。みなさんも子供時代、磁石で砂の中から「砂鉄」を取り出した事があると思います。そう、ヒッタイトの製鉄技術は主にこの砂鉄から作り出す「たたら製鉄」によって生産されたものでした。

上はたたら製鉄によって炉から流れ出した「銑鉄」(せんてつ)です。これを鋳型に流し込んで形を整え、叩いて剣や槍、矢じりを作ったり、それ以外の様々な鉄器を生産しました。

上はヒッタイトの戦車のイラストです。その車輪にも鉄が使われています。ヒッタイト軍はこの様な戦車を数百両集めた「機甲部隊」で敵の防衛線を打ち破り、その後を鉄剣や鉄槍で武装した歩兵部隊が怒涛のごとくなだれ込み、敵国の都まで一気に侵攻する電撃作戦で連戦連勝を重ねました。

さらに鉄の利点はなんといってもその強度です。青銅の硬度は50~100程度に対し、鉄の硬度は150~200で、2~3倍の強度の違いがあるのです。(鉄の剣と青銅の剣で戦えば、当然青銅の剣は折れてしまいますね。これでは実戦では勝負になりません。)

ヒッタイトはいち早くこの製鉄技術を確立すると「国家機密」として厳重に管理し、いわゆる「ブラックボックス化」して独占しました。そのため周辺国は、ヒッタイトの滅亡まで製鉄技術を得る事が出来ず、青銅器を使い続けざるを得なかったそうです。

そんなヒッタイトが栄える事ができのは

『製鉄』技術を発展させ、武器や戦車作りを中心に、軍事力を拡大させていき

『製鉄技術』を独占したからこそ周辺国を押しのけて勢力を拡大できた

というわけですね。

正確に言うと、『製鉄』自体はそれまでもありましたが、より使いやすくて硬い『鋼』を作る技術を見いだしたことで、もろかった『製鉄』が現実的に使えるものとなり、頑丈な鉄器や戦車を作って勢力を増していったと考えられています。

ヒッタイト人は製鉄の際、炭を使うと鉄がより加工のしやすい「鋼」になることを発見しました。鉄と炭から作られた鋼は硬く、しかもある程度の柔軟性を持っています。道具にするには持ってこいの鉱物でした。

ヒッタイト人はこの鋼を加工し、鉄器や武器を作って強くなったのです。ヒッタイト人は鉄をそのまま利用するのではなく、鋼へと加工できたからこそ力を持てました。

引用元:ヒッタイトとはなに?歴史や文化、神話まとめ

ヒッタイトは『たたら製鉄』という製法で製鉄したとあります。

日本でも『たたら製鉄』 が、古代から近世にかけて特に鳥取や山口県、広島県などの山陰で最も発展し 、他にも東北、関東、北陸、近畿、九州など各地で行われた製鉄法と言われています。

山口県は製鉄が由来?

近世以降の中国地方では山砂鉄の採取場所を「山口」、「鉄穴」、東北地方では「鉄口」、「ホッパ」などと呼んでいた。また、採取方法については、中国地方では「鉄穴流し」、東北地
は「切流し」と呼称していた。

H29houkoku.pdf (sff.or.jp)

もしかして山口県の名前の由来って製鉄から?と思って調べましたら、意味合いは違いますが、 鉱山こうざんの入口 であったからという説があるようです。少なからず製鉄と関係しているといえそうです。

長門ながとの国の方へ行く山道の入口であったということ、また『続日本紀しょくにほんぎ』にある逵理山きりやま現在の東鳳翩山ひがしほうべんざん(山口市)にあった鉱山こうざんの入口であった

やまぐちを知ろう 【県のシンボル】

 防府市(山口県)の多々良についても「昔、たたら製鉄所が当地にあった可能性が高いからと言われています」と防府市教委文化財課。どうやら、古代から近世にかけて発展した製鉄法「たたら製鉄」に関係がありそうだ。

あのジブリ映画にも関係?地名「たたら」の謎 全国に点在、由来調べてみた

山口といえば、安倍晋三初め歴代首相や沢山の経済界や企業家のトップを輩出し、明治維新の主犯格・毛利家も拠点でもあります。

フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。

山口県出身の人物一覧 – Wikipedia

ただ、『たたら』の付く地名は日本でも各地に見られるようです。

「たたら」という地名はほかにも、長崎県の多々良島(五島市)、徳島県の多々羅川(徳島市)、京都府の多々羅(京田辺市)、群馬県の多々良村(現在の館林市)、福島県の安達太良山(二本松市)、岩手県の鑪(たたら)山(盛岡市)などがあった。

 各自治体に由来を聞くと「製鉄所の遺跡が発掘されている」「砂鉄が採れやすい地域だった」「山の噴火を、ふいごを踏んで火があがる様子に見立てた説がある」などと教えてくれた。やはり鉄作りや砂鉄の発掘が関係している可能性が高い。

日本での製鉄についてはまた別で書いてきたいと思います。

たたら製鉄の語源となったタタール

そんな『たたら』の語源となったのが、『タタール』だそうです。

たたら製鉄とタタールとの関係研究へ 

「たたら」の語源についても諸説ありますが、その中の1つに「タタール(Tatar)人」との関係が上げられています。一般的には遊牧民族とされているタタール人ですが、高い青銅文化を持ち、鉄の生産とも深い関わりがあることもわかってきました。

引用元:たたら製鉄 (tatara.net)

このトルコ、タタール、、韃靼に発した製鉄技術がタタラにほかならない。

タクタク、タツタツともいい、鉄の語源ともなった。

引用元:asayakeha::鉄の古語

タタールは”地獄から来れる者ども” と 呼ばれていたそうです。

「タタールという言葉には、いつもある独特な響きがつきまとう。13世紀のヨーロッパ人たちの祖先は、”地獄から来れる者ども”(エクス・タルタロ)というラテン語を思わせる「タルタル」をモンゴル人を指す語として用いた。

引用元:タタールのくびき

『タタールの軛』と呼ばれるほど、ロシアがモンゴル人から支配され押さえつけられていた時代があったそうですが

それほどほど強大な勢力であったのと同時に、悪魔崇拝者らしき極悪さが伝わってきますね。

タタールとは?

ロシアでは広くモンゴル人をタタールと言ったそうですが、それとは別にヴォルガ中流域にいるトルコ系民族もタタール人というそうです。 こちらから)

RAPT理論

RAPT理論では、 アーリア人は元はカスピ海周辺にいた民族(秦氏)で、 チュルク族バイカル湖付近にいた民族(出雲族)で、それぞれ国々を経て日本にやって来たのではと言われています。

RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。

しかし「チュルク族」の中にいた「秦氏」が何らかの理由で「チュルク族」から脱退し、カスピ海の辺りにいた「アーリア民族」に合流したのではないかと言われています。

タタールはチュルク系と言われる一方で、ヴォルガ川にいるトルコ人もタタール人と呼ばれているとのこと。

秦氏も出雲族も混ざり合ったり寝返ったりしていますので、いずれにせよこの二大勢力の悪魔崇拝者達から『たたら製鉄』が日本に伝わった事は確かですね。

そのタタールが中国で韃靼となり、日本に入ってきたと言うことだそうです。”韃靼そば”は長野で有名ですが、長野はまさに鉄の発祥と言われる地でした。また別に記事にしたいと思います。

タタール(Tatar)

唐から明まで東モンゴルにいたモンゴル系の部族の呼称。中国では韃靼 (だつたん)と音訳

引用元:タタールとは – コトバンク

次に,「 てつ 」の表記です.
地中海のラテン語 Ferrum が,中国では「 銕 」と漢字表記になりました.

タタール人を「 夷( イ )」
と呼び,彼らが造る「 てつ 」を表したようです

鉄を伝えたタタール人のタタールとは地獄を意味するタルタルスに由来し,地獄のような火造りの凄まじさも表現しているといわれています.

漢和辞典では,「 銕 」の新字が「 鐵 」であり,それらの略字を「 鉄 」としています.

また,現在の中国では,繁体字が「 鐵 」,簡体字が「 铁 」と表されています.
鐵の右側の字体は,鉄を黒金と読むようにの意味をもち,呈( まっすぐ )に戈る( 切る )を組み合わせた合体文字です.

タタール人の造る錬鉄より,中国で開発していった「 新素材 」といえる鋳鉄は高性能でした.それを誇示する意味で「 鐵 」表記されたと想像すると楽しいですね.
学術・産業界の大恩人である鉄鋼研究の本多光太郎先生( 1870 ~ 1954 年 )が,鐵の字体を分解して「 金の王なる哉( カナ )」と表しました.

明治維新後の国家建設のため「 鉄は国家なり 」という富国強兵政策と重なり,興味があります.
一方,鉄は銕,鐵が誤って略されたという説と,使用頻度が高いために,なくなりやすい金属という説もあります.

著者は,「 鉄 」について次のように思っています.
製鉄燃料の木炭製造のため森林資源を乱費する.また,それに伴う大気汚染が人々に迷惑を与えた.
・溶解製造されて仕上がりの良い青銅( 銅と錫の合金 )は吉金,美金と呼ばれたが,仕上がりの悪い鉄は悪金,黒金と呼ばれていた.
・中国では専売品とされ,人気がなかった.
・一部は農機具に使われていたが,主な用途は兵器,輸送用機器であったため,日常生活への恩恵は少なかった.

このように,「 てつ 」は「 人々の幸せや富 」を否定し,失わせる金属という造字者の意図があったのではないでしょうか.
現代も含めた鉄を使っている時代 3 000 年余りのほとんどで鉄は忌み嫌われ,畏怖の念を受けたのでしょう.

日本でも,鉄鋼が日常生活に浸透し,有用性を享受できるようになったのは,第二次世界大戦後のことです.
現代でも,「 失 」にこだわる人はいるようで,新日本製鐵株式会社のように「 鐵 」を使用,また JR 東日本旅客鉃道株式会社など( 四国を除く )のように鏃( ヤジリ )を表す「 鉃 」を使用している場合があります.

引用元:箸休め (ihi.co.jp)

日本でたたら製鉄が始まったころ、南シベリアの騎馬民族(匈奴・キョウド)がたたらと同じ「塊錬鉄法」による「鋼」の直接製鉄をやっていたらしい。出土している鉄器の中には「蕨手刀」と酷似したものもある。北方騎馬民族経由の製鉄技術が東北地方に伝来した可能性もあると考えらる。

引用元:H29houkoku.pdf (sff.or.jp)

「 夷( イ )」 といえば『蝦夷』

つまり、タタール人=モンゴル=ツングース民族=匈奴=北方騎馬民族が、日本に来て蝦夷になったということですね。

製鉄(鍛冶)集団とシャーマニズムと空海

そしてそんな 鍛冶師集団は、国を持たないが故に、

シャーマニズムと見せかけ詐欺を行ない、『神の土地』だといって土地を奪ってきた事が分かりました。

縄文と古代文明を探求しよう! (続き)


北方アジア、シベリアは過疎地であり、鍛冶は定住集団としては成り立たなかった。そこで村々をまわる「渡り」の鍛冶師が登場した。

しかし、それだけでも生計は苦しく、村々をたずねては先端技術・鍛冶を神秘化し、病気治療や未来予言などのシャーマンとしての儀礼を行った。鍛冶師は、鉱物資源の探索者でもあり、同時に薬草の探索者でもあったからだ。

この記事を拝見し、まさに修験者であった空海のことだと思いました。

空海は、鉱物を見つけ冶金を行ない、錬金術に発展させたようです。

空海と修験者と鍛冶

・若き日の空海が山の中で修行した時には、修験を通じて鉱物を見つけることも関係していて、そこで水銀の出る高野山に注目した。

・手ごたえで金属が含まれていると分かり、次にその岩の上で火を焚けば一種の天然の溶鉱炉になり、溶け出して注出した金属を精錬すれば良い。
・それが鞍馬の火祭りという修験者の儀式になり、そうやって大地の恵みを火を使って回収する。

修験道は火と水を使って採鉱と冶金を行い、火と水の間に土が入った儀式だからヒミツとされ、これが日本の山伏が伝えて来た錬金術であり、東洋的な神仙道の言葉では練丹術の実践でもある。

鞍馬山で牛若丸がカラス天狗を相手に修行し、天狗や鬼が冶金をする山人の別名であり、その実態が冶金術にあった真相はこれである。

中央構造線と水銀と空海

『秘密(ひみつ』の語源ってここからだったのですね。

空海は讃岐、にするほど真言密教は隆盛を極めるが天文学・医学・薬学、の満濃池や神戸港の土木工事。など多方面で大活躍している

7856 (agri-biz.jp)

佐伯氏はメソポタミアから来た海部族に属し、白山の山岳信仰を持つ渡来民の子孫として、越前や越中を中心に住み着いていたが、石や冶金と関係が深い技術を持っていた関係から、常陸や讃岐にも眷属が分散したらしいです。

「空海の密教ライン」と「中央構造線」古代巨石文明の伝統<藤原肇 vs 池口恵観>

ここからが彼らの手口です。

縄文と古代文明を探求しよう! (続き)


そして有望な土地を見つけては一族郎党を呼び寄せ、その地を神の地として占拠してしまうことを行った。彼らは自ら「大麻などの幻覚薬草」を利用して擬似トランス状態を作り出してみせて、現住民たちを巻き込んでいった。

生存圧力の低下によって既に、トランス回路の衰弱していた原住民たちは、幻想薬草にもとずく詐術を見破ることは出来ず、同時に、薬草の類の実質的な医術をセットにされると彼らの詐術を神技と崇めることになる。


勿論シャーマンの儀式が種明かしのある詐術であることは、鍛冶師たちにはお見通しのことであって、北方部族ドルガン族に「シャーマンは鍛冶師の死を引き起こせない」という諺があるのは、鍛冶師たちにはお見通しだからである。


こうして、鍛冶師=シャーマン集団の実利一体の詐術に原住民たちは巻き込まれていった。後に、秦氏一族などが、良質な銅山である香春岳に神社をたてて、移り住んできたシステムと同じである。

※空海は秦氏です⇒「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。

流浪の製鉄集団が土地を占拠するために、原住民を大麻でトランス状態にさせて、神秘性を装い、『神の力』だとか『神の土地』だといって土地を奪っていってということですね。

更に彼らは『薬学』や『医学』に精通していたとのことなので、原住民達は彼らを崇めたのでしょう。しかし彼らが行ってきた『薬学』『医学』は人の病気を治すものというより人を騙すものだった。

これ、まさに今起きていることと全く同じでビックリです。

イルミナティ達は、人工地震だとか嘘の原発事故を装って土地を奪って自分たちの利益にしていますし、

現在進行中ですと、嘘のコロナパンデミックを起こすことによって土地や店や企業を乗っ取っています。

RAPT | RAPT×読者対談〈第111弾〉人工地震3.11を起こした真犯人は出雲族である。

【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!

占い=スパイだった?

縄文と古代文明を探求しよう! (続き)


以上は、浅井氏の分析だが、私は、医術だけでなく「敵が攻めてくるかどうか?」といった軍事占いも重要な要素ではなかったか、と考える。
実際、神功皇后は住吉大神の神託を受けて新羅征討を行うなど、既に私権闘争真っ盛りの時代にあっては神事の最重要課題は戦争である。
以下の事例は西洋16世紀の事例だが当然、その起源は古いと考える。
>ハプスブルク対反ハプスブルク勢力で戦乱に明け暮れた16世紀に、この2つの勢力両方に、「敵軍の情勢、軍勢」の情報を教える、戦争のための情報提供を行う「スパイ組織」が存在した。

つまり、戦争の両方の当事者に雇われスパイ活動を行う、専門的な情報屋=スパイ商売を行う人間達が居た。戦争する2つの勢力・両方に雇われスパイ活動を「商売として行う」タクシス一族。


>ヨーロッパ各地に、様々な職業、貴族として偏在したスパイ・タクシス。特に、ドイツ・バイエルンで王侯・貴族「お抱えの」霊媒師として、その「予言の的中率が高い」と大人気であった「占い師」がトゥルン・ウント・タクシスであり、このタクシスが活躍した組織がトゥーレ協会、つまり後のヒトラーのナチス組織である。


>タクシスの「占いは的中するはずである」。ヨーロッパ全体に拡がった親族のネットワークを駆使し、ヨーロッパ中の情報を手に入れていたタクシスにとって、「行方不明になった親類が、どこにいるか」等と聞かれれば、「来月~に来る」等と予言し的中させる事は簡単であった。徒歩で~を目指して歩いていた、と言う情報があれば、来月頃、徒歩で、どこに居るかは、簡単に「予言できる」。こうしたスパイの「カラクリ」を知らない王侯・貴族の間では、タクシスは予言を的中させる「魔女・悪魔の使い」と考えられていた
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210932


つまり、私権闘争の制覇力は最終的には諜報力である。占力=サキヨミする力はスパイを背景とするが、魏志東夷伝によると既に高句麗etcはスパイを送りあい、血みどろの私権闘争を繰り広げていたことは事実だ。そうすると、卑弥呼にしろ、神功皇后にしろ、半島とのはかりごとを踏まえて「詐術的に人心を掌握できた」可能性は高い。


おそらく表の権力闘争の裏には、あらゆる表の権力闘争を超克した裏の諜報ネットワークが存在する。それは私権時代の必然的なビジネスモデルである。シャーマニズム、そして道教や修験道で用いられる「陰陽のシンボル」は「裏の私権闘争の構造」を表象しているのではないだろうか。

つまり、占いと見せかけて、スパイをしていただけだったということですね。

ちょうど メンタリストDaiGoの 読心術は全てヤラセだったと暴かれました。

メンタリストDaiGoがTV番組で披露した読心術は全てヤラセだったとロンブー淳が暴露

メンタリストDaiGoは、人の心を読み取り、相手が考えていることを当てるパフォーマンスで有名になりましたが、実は答えを知っているマネージャーがDaiGoに合図を送り、それを見たDaiGoがいかにも相手の考えを当てたかのように演じていたとのことだったようです!

以下は、今ご紹介した 縄文と古代文明を探求しよう!のブログの冒頭の部分です。

シャーマニズムの誕生~鍛冶集団と占集団

『三国志』において陳寿は「(卑弥呼は)鬼道を事とし、能く衆を惑わす。と記している。律令国家、官僚政治(法制統合)の途上にある当時の中国知識人は既に、シャーマニズムを「詐術」として排除にかかっていたのであろう。勿論、その後にも道教としてシャーマニズムは民間信仰の中に残っていったし、日本においては修験道の中に、その伝統は継承されていった。

シャーマニズムは、アミニズム段階から私権闘争を経て、法制統合へと至る中間段階において、重要な位置をしめている。そして、シャーマニズムの時代は、青銅器文明、鉄器文明の時代と期を同じくしている。シャーマニズムについて調べていくと、青銅器、鉄器を作り出す「鍛冶師」とのつながりが浮かび上がってきた。以下、参考図書「古代製鉄物語」浅井壮一郎著。

『三国志』では、「(卑弥呼は)鬼道を事とし、能く衆を惑わす。と記しているとのこと。

結局、卑弥呼もシャーマニズムが詐欺だと分かって行って、人を騙してきたというかもしれません。

彼らがこれだけ重要視している「陰陽のシンボル」の意味も、 占いとスパイの関係のような、

『騙す(装う)側』と『騙すための工作をする側』のような関係を表しているのかも知れません。

製鉄について調べてきましたが、

彼らは国を持たないユダヤ人であるが故に、目星を付けた土地に寄生するため、

いかにシャーマニズムを装った詐欺を行って人を騙してきたかが分かりました。

もちろん本気で悪魔に繋がってきたことも確かだと思いますし、悪魔から神秘性を装って詐欺をするよう啓示を受けてきたのかもしれません。

そして今でも同じような手口を使ってコロナで騙そうとしましたが、RAPTさんが全て解き明されたことで、彼らの嘘が全て露わになりました。

悪魔より神様の方が何枚も上手だということですね。

製鉄は奥が深いです。引き続き、『製鉄』の歴史について書いていきたいと思います。

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