クリスマスはサタンを祝う日。イエス・キリストの誕生日ではありません。

ミトラ教を象徴とする「フリジア帽」があることをこちらの記事で書きました。

太陽神・ミトラ神がこのフリジア帽を被っていますが、

フランスの自由の象徴であるマリアンヌもフリジア帽を被っています。

この帽子どこかで見覚えがありますね。そう、サンタクロースが被っている帽子です。

ローマ、ミトラ、フリジア帽といえばサトゥルヌス祭が連想される。土星に配される神であるサトゥルヌス神の祭だが(だから土曜日がSaturday)、この祭のシンボルがフリジア帽であった。祭での意味づけは、ローマにおける元来の意味、つまり、奴隷からの解放であった。
 これだけでは、ミトラ教とは関係ないようだが、実は、サトゥルヌス祭は、太陽暦で基点となる冬至の祭りソル・インウィクトゥス(Sol Invictus)(参照)に接続する。これはアレキサンダー遠征でローマに入ってきたミトラ教の祭である。さらにこれが、クリスマスに変化する。奇妙な符号なのだが、サンタクロースが被っている赤い帽子は、実はフリジア帽なのである。(サンタクロースの聖ニコラスは今のトルコの出身でもある。)
 サトゥルヌス祭のフリジア帽はミトラ教の祭祀の名残であろうか?
 サトゥルヌス祭でミトラ神が意識されていたということはないだろう。だが、パリス王子についてのアイコニックな伝承からすれば、異教の信仰がまったく意識されないこともなかったのではないか。
 西洋キリスト教はギリシア・ローマを経てミトラ教を含み込むことで、その内部に、反キリスト教的な要素のダイナミズムを保持し、そのダイナミズムが近代におけるキリスト教支配への反抗として飛び出したのが、異教的シンボルとしてのフリジア帽だったのではないだろうか。

フリジア帽はミトラ教の帽子: 極東ブログ (cocolog-nifty.com)

もともとクリスマスはキリストの誕生日ではなく、ローマで行われていたサトゥルヌス祭の日でした。

サトゥルヌス祭とは紀元前217年ごろ、第二次ポエニ戦争でカルタゴに軍が惨敗した後、市民の士気を高めるために催されたのが始まりで、奴隷とその主人がこの期間だけ表面上役割を入れ替えて馬鹿騒ぎする日だったようです。その奴隷が被っていた帽子が”ピレウス帽”=フリジア帽だったので、奴隷解放の象徴の帽子になったようです。

一見悪い話のように思えませんが、サトゥルヌスは子供を食べる性質があるようです。

サトゥルヌス=サタン=サンタ

まさにサタンそのものです。この祭りとキリストとどんな繋がりがあるというのでしょう。あるわけがありません。

実際にサートゥルヌス神を祝した古代ローマの祭であるサートゥルナーリア祭では人間の生贄を捧げる習慣があったそうです。

サートゥルナーリア祭では生贄を捧げる古くからの習慣があり、サートゥルヌスの神殿前に生贄を置く長いすを設置し、サートゥルヌス像に普段結ばれていた縄を解き、その年が終わるまでそのままにしておいた。儀式の進行と記録のため、Saturnalicius princeps が選ばれた。公的な儀式の他に、この期間は祝日とされ各家庭でも個別に祝う習慣があった。学校が休みになり、小さなプレゼント (saturnalia et sigillaricia) を作って贈り合い、特別な (sigillaria) が開催された。奴隷であってもこの期間だけ公に賭博が許された。もっとも、1年の他の期間に奴隷が賭博行為を全くしていなかったという意味ではない。

サートゥルナーリア祭 – Wikipedia

エジプトでは、19世紀になるまで、コプト人の暦法による年の初めの日に、身代わりの王の焼死と再生を祝ってきた。そのときこの神一人は、ファラオ、「五月祭の王」、「謝肉祭の王」、「サートゥルナーリア祭の王」、その他の異教の救世主たちの場合と同じように、背の高い先のとがった冠〔ミトラ〕をかぶせられ、3日間王の座にすわらされた。次に、この王の人形〔ひとがた〕が焼かれ、彼は王の衣装の灰の中からはい出してきて、「再生した」。フレーザーは、「この風習は、音は本物の王が実際に火にかけられるしきたりがあったことを示している」と述べている[15]。カルタゴの神学者テルトゥリアヌスによると、3世紀に入ってからも、毎年カルタゴの人々は、「光明神とみなされた男たち」を火で焼いたという[16]

Herakles(ヘーラクレース)

サトゥルヌス祭はサトゥルヌスに生贄を捧げるお祭りでもあったという事ですね。サトゥルヌスはクロノスとかソル・インヴィクタスとも呼ばれる太陽神であり、ミトラとも同一視されます。

クロノスについてはこちらに書かれています。

ソル・インビクタスはミトラ教の謎において重要な役割を演じ、ミトラと同一視された。[22][23][24] ミトラ教のソル・インヴィクタスと、同じ名前の神の公的な崇拝との関係は不明であり、おそらく存在しない。[24]:203

ソル・インビクタス – Wikipedia

ソル・インヴィクタス(古典ラテン語: [ˈsoːɫ ɪnˈwɪktʊs]、「無敵の太陽」または「征服されていない太陽」)は、ローマ帝国後期の公式の太陽神であり、ソル神の後期のバージョンである。皇帝アウレリアヌスは西暦274年にカルトを復活させ、ソル・インヴィクタスを帝国の主神として昇進させた。 彼に捧げられた主な祭りは、ローマ暦の冬至の日である12月25日のDies Natalis Solis Invicti(「無敵の太陽の誕生日」)でした。

ソル・インビクタス – Wikipedia

冬至は、太陽が空に沈むのが逆転するため、古代では、太陽または太陽神の死と再生を象徴するものと考えられていました。 冬至に基づく周期的な暦を使用する文化では、「生まれ変わった年」は、生死再生の神々または「新しい始まり」(ホグマネイのレディング、新年の掃除の伝統など)と「逆転」(サートゥルナーリアの奴隷と主人の逆転など)を参照して祝われました。

冬至 – Wikipedia

西暦274年、皇帝アウレリアヌスは、ローマ暦の冬至の日である12月25日に「無敵の太陽の誕生日」という祭りを制定しました。[45][46] ローマでは、この毎年恒例の祭りは30の戦車競走で祝われた。[46] 古代史の教授であるゲイリー・フォーサイスは、「この祝賀会は、共和制時代以来のローマの最も楽しい休日であるサトゥルナーリア(12月17日-23日)の7日間の期間に歓迎すべき追加を形成したであろう」と述べています。[46] 西暦362年、皇帝ユリアヌスはヘリオス王への賛美歌の中で、アゴン・ソリスは12月下旬にサトゥルナーリアの終わりに開催される太陽の祭りであると書いています。[47][48]

この祭りは354年のクロノグラフ(またはフィロカリア暦)に記録されており、12月25日がイエス・キリストの誕生日であるという最古の記録でもあります。歴史家は一般的に、テキストのこの部分が西暦336年にローマで書かれたことに同意しています。[45]

Wallraff (2001) は、4世紀半ば以前の祭りの証拠は限られていると述べている。[49][k][52]

ソル・インビクタス – Wikipedia

  • サトゥルヌス
  • ソル・インヴィクタス
  • ミトラ
  • クロノス

=太陽神=悪魔

ということです。

12月25日がイエス・キリストの誕生日であると記録されているとのことですが、ミトラ教徒による工作でしょう。

312年にローマ皇帝のコンスタンティヌス一世が、表面上はキリスト教を国教にしましたが、同時期にミトラを拝む金貨を作ったり、キリスト教にサタン的なシンボルを入れていったようです。ですので、その記録もミトラ教徒(悪魔崇拝者)たちが神を冒涜する目的でそうしたのでしょう。

このように、クリスマスがイエス・キリストとはまた全くの無い行事であり、むしろ真逆のサタン(悪魔)を拝む行事から由来したのがお分かりでしょうか。

日本や世界中で当たり前のように祝われている行事も、悪魔崇拝から由来したものがほとんどなのです。

日本の年中行事は、ほとんど全て悪魔崇拝儀式だった(十二弟子・ミナさんの証) | RAPT理論+α

しかし神様は各時代に中心者を遣わし、御言葉を伝えるようにしてくださり、人類をどれ程愛してこられたのかを教えて下さり、神様の愛や真理をRAPTさんが御言葉を通して伝えて下さっています。

どれほど人類をサタンの支配下から抜け出して神様の支配下で生きられるように今まで導いて下さってこられたのか。実際に御言葉に従うようになると、本当にその愛が伝わってきますし、助けの手を差し伸べて下さり、どこまでもまっすぐ成長させて下さります。

その素晴らしさを多くの人が享受していただき、サタンにとって重要な日を、本物の神様を愛し、感謝する日にしていただきたいと願います。

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