仏教とキリスト教の教理の違い。本物を知ると噓の言葉が分かるようになる。

人生において何か辛いことがあったとき、人は精神的な救いの言葉を求めるものです。

私自身、スピリチュアル、自己啓発、占い、仏教(禅・写経)など色々試してきました。

少なからず誰でもそのような体験があるのではないでしょうか。

それらが与える言葉は一見耳障りがよく、救いになる言葉のように感じます。

ですがどれも本当の意味で「悟れる」言葉ではありませんでした。自分自身が全く変われなかったからです。

むしろどんどん狭い世界に閉じ込められていく感覚もありました。

RAPT朝の祈り会(2021年10月分)

2021年10月26日(火)
サタンと同じ思考回路を持てば、サタンのような人生を生き、サタンのような運命を辿る。神様と同じ思考回路を持てば、神様のような人生を生き、神様のような運命を辿る。(私たちが神のようになれば、神様が所有する全てのものを所有し、神様が支配する全てのものを支配するようになるから、どれだけ大きな祝福だろうか。)

RAPT有料記事776(2023年9月23日)真理を悟れない人は、サタンに洗脳され、様々な行動制限を課せられて生きるしかないが、真理を悟った人は、サタンの洗脳から解かれて、一切の行動制限から解放されて生きられる。

なぜそうなのか、RAPTさんが神様を必死で25年間愛されて受けて下さった本物のキリスト教の教理である神様の御言葉を読ませていただき、分かったのです。

実践する程、それらのものとは全く次元が違う言葉であることをハッキリと確信するに至りました。

仏教では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救われると言われています(宗派によって唱える言葉は違いますが)。また、「他力本願」という言葉がありますが、本来の意味は「阿弥陀如来の本願による力」に頼るという意味だそうです。

各宗派の特徴|教えてお寺・神社さん

つまり、阿弥陀如来の「人を苦しみから解放し幸せになってほしいという願い」には力があるから、その力に頼りましょうということです。

「他力本願」を誤用していない? 正しい意味や使い方をわかりやすく解説

御言葉でも、神様は天地万物を創造された方ですし、その御力は偉大です。その御力に頼りなさい、祈り求めなさいと仰られます。

ですが、神様の御力をいただいたり祈りを叶えていただくためには徹底的に努力をしなさいと仰られるのです。

RAPT有料記事327(2018年11月12日)主はやった分に応じて報いてくださる方だから、常に100%の努力をしてこそ100%の祝福を受けられる。

「楽して稼げる」「あなたはそのままでいい」という言葉はよく聞きますが、こんなに努力をしなさいという教えが今までありましたでしょうか。

ここがまず、全く違うのです。

その努力の仕方は今までしてきた努力とは違います。

神様の考えをしっかり学び、心を清めて神様に近付く努力をしたり、神様の願いである人を救うために自分の個性才能を伸ばしたり、そのためのお祈りや神様への賛美を捧げることなどです。

RAPT有料記事128(2016年12月12日)豊かに聖霊を受けるための基本的な信仰の4つの柱。

今までこんな努力をした事がありませんでしたが、行っていくことで、どんなに自己流で改善したくてもできなかった、自分の足りない目に見えない事から目に見えるあらゆることが満たされていくのを確実に感じるようになりました。

私は御言葉を実践して本当に思います。

実際に分からなかったことが分かるようになったり、出来なかったことが出来るようになるからこそ喜びであり希望であり、救いだと思うのです。

その努力をせずしてただ念仏を唱えたり祈るだけでどうやって自分を変え、人を幸せにすることができるのでしょうか。

今生きている生は苦しくてもしょうがないけれど、あの世に行ったら極楽だと言われているから良いのでしょうか。

そんな苦しいばかりの生き方をしていたらあの世にいっても幸せにはなれません。

RAPT有料記事159(2017年4月1日)天国に入って永遠に幸せに生きるために、我々は地上でどんな人生を生きるべきか。

RAPT有料記事324(2018年11月3日)主を信じ愛する者は自ずと運命が好転し、主に反逆する者は自ずと運命が悪化していく。

神様は霊界にいらっしゃいます。生きておられるのです。

お祈りして呼び求めると来てくださるのを感じますし、自分の力では解決できない問題が起きた時には、祈るとその都度解決できるように導いてくださります。

賛美をすると神様の喜びが伝わり温かく嬉しい気持ちになります。御言葉に従う前は汚い心が沢山あった私の心を、祈り求めることで悟りを与えてくださったり、実際に清めてくださり愛の心が持てるように導いてくださりました。これだけでも本当に人生が変わったと感じました。

日々与えてくださる御言葉も、その時その時の世の中の状況に合わせて、私たちの状態を鑑みてくださって必要な御言葉を与えてくださります。時に励ましてくださり、時に戒めてくださり、分かりやすく霊界や霊のことを教えてくださったり。

神様は24時間神様を信じる義人のために、これから救われる人のために、霊界と地上界の状況を変えてくださるために誰よりも働いてくださっているのです。

日々変わる世の中の情勢に私たちが付いていけるように御言葉を与えて下っているのです。

神様には心情があり、意思があります。偶像ではないのです。

ただ念じるのみで、生きている間は苦しい思いをさせるような方ではありません。

しかも不思議なことに、神様のためにと思って努力をした事なのですが、結果的には自分の成長や悟りに繋がっていくのです。神様はそのように、私達がどんな状況になっても対処できる力を身につけさせて下さろうとしてくださる、どこまでも愛の方なのです。

耳障りが良い言葉をかけることがその人のためではありません。どんなに厳しくても、間違った心を正し、本物の実力が身につけられるように導いて下さります。

奥深い神様の愛を感じるのです。

私の父が数年前に亡くなったとき、お寺のお坊さんが親戚の前で説教を少ししたのですが、「何も考えなくていいのですよ」と言いました。それに対してうちの親戚は有り難そうに、うんうんと頭を縦に振り頷いていました。どれだけ甘い言葉に騙され洗脳されているのだろうかと思ってしまいました。

仏教は悪魔崇拝からきた宗教だと書きましたが、

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今回、仏教のことについて調べていくと、キリスト教の教理と似ているところがあるなと思いました。しかし上に書きました通り決定的に違います。彼らはそのように騙していくのです。

仏教についての解説を読んでいると頭が混沌としてきて、昔の色んな事が分からずに生きてきた苦しかった自分を思い出してしまいました。

本物のキリスト教である御言葉を学んでいくと、その他の言葉や教理がいかに間違っているかをハッキリと悟ることができて、頭がスッキリします!

このように「真理」の言葉はどこまでもシンプルで、明快で頭もクリアになっていく言葉なのです。

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