神様は生きておられ、意志のある方。宗派や解釈を自由にするものではありません。

前回まで、古代から現代にいたる世界中の様々な宗教の共通点を挙げていきました。

ほとんどの宗教に共通するのは、巨石(ピラミッド含む)、淫乱、人間の生贄だと書きました。

そして、それらの行いは聖書に反逆することであり、人間を幸せにするどころか不幸にするしかありません。そんなことを要求するのは神ではなく神に反逆する【悪魔】であり、キリスト教以外のほぼの宗教が悪魔を拝む宗教であることをお伝えしました。

今回は、違った視点から、私達が持っているの認識がいかに間違っているかをお伝えしたいと思います。

神様は生きており、意思も考えも心もおありになる。

私は真実を求めてRAPT理論に辿り着き、有料記事を読むことによって神様のお考えを知ることができました。

それまでは、キリスト教もカトリックやプロテスタントがあったり、マリア様を拝んだり、教会によって、人によって、色んな捉え方の宗派があるものだと思っていました。

仏教も浄土宗やら臨済宗やらあるように、色んな宗派があり、宗教の自由が認められている訳で、多種多様な民主主義らしい考えだ、などと思っていました。

しかし、有料記事で神様の御言葉を学び、その考え方はひっくり返りました。今までの宗教や神様に対する考えはどれだけ間違った認識感だったのかを思い知らされました。

まず、聖書には聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないとはっきり書かれてあります。

何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。

ペトロの手紙二 1:20 

なぜ、私たちが宗教を信じ、神様を信じるのかといえば、人間の考えでは幸せに生きられないから神様のお考えを学び、そのお考え通りに生きるためです。

それなのに、神様の考えの分からない部分や、解釈の仕方が分からないからと言って、人間の考えであれこれ勝手に解釈をしては、その宗教や神様を信じる意味がありません。

ほとんどの宗教は、普段は好き勝手に生活をして、たまに形式的にお経や祝詞を読んだり、形式的な祈りをささげるだけです。 

聖書には私たちがどのような心をもってどのような人間になるべきか、詳しく書かれてあります。ですが聖書は封印の書でもあるので正しく解釈するのは難しいです。

また、現代人が今の複雑な社会を生きるのに、2000年前に書かれた聖書の文字を読むだけでは限界があります。

ではなぜRAPTさんが御言葉を伝えてくださるようになられたかといえば、聖書に書かれてある生き方をどこまでも忠実になされた上で、人類を神様に繋げることができるようにと、また神様に聖書の正しい解釈を神様に祈り求められてこられたからです。

神様のお考えをどこまでも神様に尋ね求められたのです。

日本に住んでいると、無宗教が主流とはいえ、神様というと神道仏教を思い浮かべる人がほとんどではないかと思います。

神道仏教はそれこそ偶像であり、神様が心情や意思がおありになる方だという概念が全くありません。ただ形式的に参拝して、何か良い事があるだろう、ご利益があればいいなどと淡い期待を抱くぐらいです。

RAPTさんは、神様のお考えを正しく理解し、実践し、神様の願いや悲しみや、何をすれば喜んでいただけるかを悟っていくことが重要なのだと教えてくださいました。

神様の世界はどこまでも心情の世界だと仰られました。

RAPT有料記事102(2016年9月12日)神様の心に秘められた悔しさと悲しみ。

神様は生きた方であり、常に私達を見守ってくださり、祈り求めるならば助け導いてくださります。神様は霊なので目には見えませんが、24時間霊界で人々の救いのために働いていらっしゃるお方なのです。

RAPT有料記事298(2018年7月30日)この世に楽して成功できる方法は一つも存在しない。真の実力を身につけた者だけが成功できる。

神様は全知全能な方ですので、神様のお考えや心情を深く悟って実践してこそ、人間の霊と神様の霊がより繋がり、神様に近づくことができ、成長することができます。好き勝手解釈して神様の意思と違うことばかりしていたら、神様に繋がることはできないのです。

私自身、信仰が幼くズレてばかりいたときと、御言葉を読んで祈り求めながら神様の考えに近づくように自分の考えや行動を変えていった今とでは神様の感じ方、繋がり方が全く違うと感じますので、ハッキリと言えます。

一見、聖書の御言葉に従う生き方なんて、堅苦しくてできるわけないと思われるかもしれません。それこそ自由が奪われる様なイメージを抱かれるかもしれません。

ですが、無宗教で生きて、一見好きなように人々は生きていますが、本当に自由ですか?

私は御言葉に出会うまで、色んな恐れや不安や不満、自分の至らなさやらを感じて生きていました。しかし御言葉を信じ、一つ一つ罪を悔い改めながら悟っていくことで、心が解放され、どんどん自由を感じ、発展して生きられるようになりました。

この世の中が嘘だらけだと知っただけでも余計な不安が一気になくなりましたし、真理を知るとなおさらなのです。

また、自分の考えで行うよりも、神様に祈り求めた上で導き通りに行ったり、霊感がきたときはそれを行ったりして、神様の考えで行う方が思ってもみない良い結果になることが何度もありました。

自分の考えがどれ程小さくて、神様のお考えがどれ程全てをお見通しで確かなのかと思わざるを得ません。

このような宗教が今まであったでしょうか。

悪魔を信じる人も祈り求めている。

悪魔崇拝者達もトップの方は悪魔に祈り求めて、有名にしてもらったり、この世の中を治める知恵をもらったりしています。

しかし、その為に人間を虐待し、身内や友人を生贄にしたり、人間にもとる行為をしなければならず、余りに代償が大きいです。悪魔から知恵や力をもらっても、庶民には噓をついて自分たちだけが富を搾取したりと、そんな世界が広がれば、誰が希望を持って生きられるでしょうか。一部の悪人だけです。

実際にそんな世界になっているわけです。

そして私達が気付かない間にその思想を植え付けられているのです。

本物の宗教は?

しかし、御言葉は真逆です。私利私欲を持つのではなく、ただ神様が喜ぶことだけを行って生きることで全てを与えていただけるから、第一に神様を愛し、その愛で隣人を愛しなさいと仰られます。

神様を愛することでどこまでも愛が広がっていくのです。

沢山ある既存の教会もこのようなことは教えません。本当に神様を愛し、求めていないからです。

この世の中には沢山の宗教がありますが、ほぼが悪魔を拝む宗教であり、既存のキリスト教も乗っ取られて教理が破壊されています。

本気で神様を求めてこられて啓示を受けて下さっているRAPTさんが伝えてくださる御言葉がそれらと確実に次元が違い、宗教のうちの一つという概念ではなく、世界全体に働いている真理なのです。

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