秦の始皇帝の末裔『秦氏』が日本に来て神社を建てた

秦氏

 

簡単に、ドルイド僧の一部がやがてゾロアスター教を作り、そのゾロアスター教の神官の中から「秦氏」が出てきて、彼らが中国で「秦国」を作り、さらにその後、日本へと渡ってきて「大和朝廷」を作ったと説明しました。

 

【学校では教えない】歴史の大まかな流れを理解しよう2
悪魔を拝むドルイド教が日本で神道になった経緯。ハロウィンもここから
前回は、聖書に書かれてあるユダヤ人が神様の裁きで国を追われて各国を転々としながら日本に辿り着いたとお話をしました。 日本では当たり前のように大晦日になると...

 

ではなぜ『秦氏』かといえば、中国の歴史上最大の勢力を及ぼしたあの『秦の始皇帝』の末裔だからなのです

始皇帝

RAPT | 「秦氏=ロスチャイルド」は日常的に虐殺と人身供養を行っていた「秦の始皇帝」の末裔です。

 

 

秦の始皇帝」といえば、ひどく残虐非道な皇帝で有名ですね。彼らは悪魔崇拝をして平気で人を殺すくらいですから、本当の事なのでしょう。

【キングダム】始皇帝が死んだ本当の理由 <歴史書『史記』のウソ> | お知らせ・コラム | 葬式・葬儀の雅セレモニー (miyabi-sougi.com)

 

ーーーーーーーー(こちらから)

ライバルはすべて抹殺するといった強引すぎる政治手腕、そして儒学者は生き埋めに儒学の貴重な書物も焼いてしまうといった「焚書坑儒」など、気に入らないものはすべて排除する過激さが、始皇帝にはあったといわれます。

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最近は始皇帝を英雄に仕立て上げるような漫画も出ているようですがただ先祖の悪事を隠したくて綺麗事を描いているだけにしか思えません。

この始皇帝の命を受けた徐福が沢山の技術者をつれて日本にやったきてその後『秦氏』と名乗り、神社を次々と建てていったようです。

 

 

 

----------------(以下、こちらから転載)

今から2200年ほど前、戦国の中国を統一した秦の始皇帝は、除福から東方海上に蓬莱など三つの神山があり、そこには不老不死の霊薬があると言うことを聞いた。

そこで始皇帝は、その霊薬を求めるように除福に命じ、3千人の童男童女と百工(多くの技術者)を連れ、蓬莱の島に向かわせた。

しかし、その後除福一行は二度と中国に帰らなかった。

東方の島の「宝」を求めて冒険に出るところは、マルコポーロの「ジパングの黄金の島」を求めて欧州人の大航海時代が始まり、やがて白人による世界の植民地分割競争へと繋がった契機に似てる。

しかし、いずれも日本は征服・植民地化されることはなかった。

熊野に渡来した除福一行は、やがて穂の国のこの地方に移り住み、その子孫が秦氏を名乗り、菟足神社(うたりじんじゃ)を創設した。

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このように、始皇帝の命を受けた徐福が、日本に沢山の人を連れてきて、中国に帰らなかったと書かれています。

つまりそのまま住み着いたという事ですね。日本には徐福伝説があるようです。

 

全国に散らばる徐福伝説。熊野の地に「半両銭」という物的証拠が眠っていた【『日本はこうしてつくられた』第1話】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト (serai.jp)

 

 

 

北は青森県中泊町(津軽半島)、京都府伊根町(丹後半島)、鹿児島県串木野市(薩摩半島)などは実際に足を運んでその伝説に直に触れた。だが、紀伊半島熊野の地で、実際に徐福が来航したことを示唆する物証に出会った

三重県熊野市波田須。徐福伝説はこの地にもあった。前出『日本はこうしてつくられた』で安部龍太郎氏はこう記した――。

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徐福の宮は海を望む小高い丘に建っていた。

赤い鳥居の奥に小さな社があり、背後に巨大な楠が立っている。徐福の墓だという石碑もある。

波田須の地名は秦の人たちが住んだ「秦住(はたす) 」が変化したものだし、近くの釜所は徐福たちが陶器の焼き方や製鉄の技術を伝えたことに由来するという。(中略)

黒潮による海の幸、気候の恵みというだけでなく、南方系の人々は黒潮に乗ってこの国に渡来し、土着して日本人になった。神武天皇も徐福もそうである。

民族のDNAに刻まれたその記憶が、この地を魂のふるさとだと思わせるのではないか……。

そんなことを考えていると、お宮を管理している方が話を聞かせて下さるという。

さっそくお宅にうかがうと、驚くべきものを見せていただいた。

 

 

「これは徐福の宮のある丸山から発掘された半両銭です」

半両銭は秦の時代に流通した銅銭で、重さが半両(約八グラム)なので半両という。文字が刻んである。

直径三センチほどの円形方孔の貨幣で、秦の始皇帝の中国統一以後に中国全土で使用されるようになった

見せていただいた半両銭は、昭和四十五年頃に徐福の宮を整備していた時に見つかったもので、当初は七、八枚あった。

二〇〇二年に中国の学者に鑑定してもらい、秦代のものに間違いないことが分かったが、どうした訳かその時に五、六枚が紛失した。

現在残っているのは、この一枚と新宮市立歴史民俗資料館に保管されている一枚だけだという。我々はにわかに色めき立った。(中略)

我々も南の薩摩半島や北の権現崎(ごんげんざき/青森県)などで、そんな伝説に遭遇してきたが、それを実証する史料と出会ったのは初めてだった。

徐福来航を伝説ではなく史実として論じる手がかりと、ようやく出会えたのである。

 

 

 

このように、日本で秦代に中国で使われていたお金が徐福が来たとされる土地から出てきたようです。

しかもその地名の名も波田須。日本各地にある『はた』が付く地名は、秦氏に由来する事が多いようです。

「はた(秦・幡多)」の地名 (folklore2017.com)

 

 

秦氏 – Wikipediaより

・『新撰姓氏録』によれば始皇帝の末裔にあたる民族応神14年(283年)に百済から日本帰化した弓月君(融通王)などが祖とされる。[4]。朝廷の設立や土地の開拓などに深く携わった氏族であり、その勢力は8世紀9世紀に更に拡大されたと云われている(明らかにされていない点も多く以下の諸説などがある)[5]

景教キリスト教ネストリウス派)徒のユダヤ人が祖とされる。(日ユ同祖論)。

秦氏一族は八幡神社稲荷神社等を創祀したことでも知られており、蚕や絹などによる織物、土木技術、砂鉄や銅等の採鉱及び精錬、薬草なども広めた

 

 

先程書いた、『菟足神社』にも、こんな言い伝えがあるそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(こちらから)

菟足神社には、日本の他の地域の農耕民族の五穀豊穣の神事とは全く違う、生贄神事が古来より行われてきた。

神社近くの街道に、明治時代には「小田橋」と書かれていた「子だが橋」の哀しい物語もある。

菟足神社の大祭の日には、その日に最初にこの橋を渡る若い女を生贄にする風習があった。

1000年以上も前のある日、生贄を捕まえる役目の人が待っていると、やってきたのは他へ縁付いた自分の娘であった。

彼は、「子だが仕方ない」と娘を生贄にしたという。

やがて人身御供は、猪に代わった。

それでも三河の国司大江定基は、その生贄の残忍な有様を見て出家し、唐に留学、寂照法師となったと菟足神社の境内に書かれている。

----------------(転載ここまで)

 

 

悪魔崇拝者である秦の始皇帝の子孫達『秦氏』が建てた神社に『生け贄』の言い伝え

 

もうこれだけみても

 

秦の始皇帝 → 徐福 → 秦氏 → 神社 → 悪魔崇拝

 

全て繋がったのも同然ではないでしょうか。

 

 

更に、この『秦氏』こそがイルミナティの血筋のトップである『ロスチャイルド』だったとRAPTさんが暴かれました

RAPT | 秦氏の正体はロスチャイルドでした。

RAPT | RAPT×読者対談〈第54弾〉秦氏=ロスチャイルドの隠蔽された歴史。 

RAPT | 「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。

 

 

秦氏である空海が日本に悪魔教『ゾロアスター教』を伝え、『密教』になった

RAPT | 天皇もロスチャイルドも日本の歴代首相もみんな実はゾロアスター教徒です。

RAPT | 「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。

 

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