損得勘定で生きることをやめ、心の虚しさを解消できたのは御言葉に出会えたからでした。

信仰を持つ前の私は、【節約】第一主義でした。

しかし単にお金がない、という訳ではありませんでした。

私がどんな考えで生きていたか、少々説明させていただきたいと思います。

私は子供が生まれてからずっと専業主婦でしたが、いずれ仕事をしたいとは思っていました。

ですが、お金の為だけに働くのがどうも性に合わず、何か自分にしかできない事を仕事にしたいと心のどこかで思っていました。

しかし、そんな実力も知識もなくどうしたら伸ばせるのかも分からず、悶々とする日々を送っていました。

ですが、お金のためだけにこれから定年になるまで働くのは苦痛でしかない、それこそ精神的におかしくなるに違いないと、本能的に思っていました。

しかも世の中の仕事をしてしまうと、何かを学んだり技術を身につけるために使う時間がなくなってしまうだけでなく、

仕事をしたら結局家事が億劫になり、外食や惣菜買ったりとをそれまで以上にするでしょうし、

また、疲れて仕事をする以外の時を全て有効に使えるとは思えなかったからです。

半日仕事をしても、貴重な時間が奪われるだけでなく、得られるものが僅かだと思いました。

僅かなお金にしかならない仕事のために、もの凄く大切なものを失ってしまうのではないか、

そんな感覚が常に自分の心の中にあったのです。

なので、まだ夫の稼ぎでなんとか生活できる間は

節約をしてでも【時間】を得る道を選ぼうと思っていました。

そのように考えていたので、時間は得られたのですが、代わりに「節約第一主義」になっていったのです。

私の生活の全ての基準は全て【節約】【お金】になっていました。

何をするにも【安いか】【どちらが得か】という【損得勘定】で選んでいました。

しかし、そんな生き方をする程矛盾を感じていました。

時に、【何のために生きているのだろう】と、何度も考えました。

しかし、何が矛盾か分からず、矛盾を解消したくても、では仕事をすれば全て解決するかといえば、そうではないことも分かっていました。

確かに時間はあったので、本を読めたり、その時は真実を求めてましたので、その時間が確保できた事は有難く、真実を知る度に何かが埋まっていくのも感じました。

ただ、それをどう生かして良いかも分かりませんでした。

しかし、ある出来事が起き、一時的に出費が増えた事で、

「もう流暢なこと言ってられない。」

「自分の生きがいになる仕事を求めるのはこの世の中では無理だ。」

「世の中の仕事をして、ただお金を稼いで生活の為に生きるしかないのかもしれない。」

「もう人生諦めよう。」

と思い、仕事を探し始めました。 

しかしなかなか見つからず。。

そんな中、この御言葉に出会えたのです。

そして【これが答えだ!】とやっと出会えたと思いました。

あまりに自分が考えていた考えとは違い戸惑うことも多々ありましたがましたが、どうしたら生きがいのある生き方や仕事ができるか、やっと分かりました。

なぜ何をしても矛盾や虚しさをどこかに感じていたのか、分かりました。

何かを失うと書きましたが、その何かが分かりました。

それは自分の利得を求めるのではなく、神様の為に生きてこそ、全てが与えられ、人間が価値ある存在になれることを知ったからです。

もちろんその為の努力をしてこそです。

RAPT有料記事400(2019年8月26日)主と愛の関係を築くなら、主が持っている全てのものを共有してくださるから、人生を生きる上で不足するものがなく、必要な全てのものに満たされて生きられる。

と同時に、お金についての認識を変えました。

実は、節約生活をしながら悟ったことがありました。

私は家庭を持ってから2度ほど、極限まで節約をしようとしたことがありました。

本当にお金がなかったわけではなく、そうすればより使えるお金が増えると思ったからなのです。

結果どうなったかといいますと

確かに節約した分、一時的にお金は貯まりました。

しかしその後、突然の大きな出費が必ず起こるのです。

それを、2度とも経験しました。

本当にお金がなくて苦し紛れに節約しなくてはいけない状況にあったなら、そうはならなかったかと思います。

ではなぜ私の場合そうなったかというと、

私利私欲のため、自分の利得の為に行ったからだと思います。

そしてその度に、【私はどこへ向かっているのだろう】【何のために生きているのだろう】と必ず空虚な思いが押し寄せてきました。

また、基準がお金になる分、物質主義になっていき、極端な言い方をすると、心を使わなくなっていくのです。心が失われていくような感覚かも知れません。

今改めて自分で書いていて、物質主義で生きる怖さを感じました。今でもその心のあり方を治す為に日々悔い改めています。

先程、一時的に出費が増えたと書きましたが、

その時は父が病気で何度も遠方の実家を行き来したからなのですがそれは、その時は、完全に自分の利得を捨て、ただ父を思ってそうしました。

それで一時的に出費は確かに増え、その為に仕事を探していたわけなのですが、

結局思わぬ所からお金が入ってきました。

この事があり、

この世の中には何かの法則が働いているのだと感じたのです。

そして、

自分の私利私欲のために生きても得をするとは限らない

と悟ったのです。

なのでこの御言葉を知って、お金についての認識も変えようと思ったと同時に、

お金のために生きるのはやめようとすんなり思うことができました。

やっと何のためにお金を使うべきか分かったことで、矛盾の気持ちが消えて、心が満たされていくのを感じました。

あれだけお金に縛られて10年近く生きてきましたが、開放されただけでも、ものすごく心が楽になりました。

ただ先程も書きましたが、何年もそのように生きてきましたので、、やっぱり油断していると出てきてしまうのです。

最近、天に富を積みなさいという御言葉を伝えて下さっています。

実は最近、霊的な条件をしっかり立てると恵に満たされるのですが、たまにどこか霊が締め付けられるような気がしていました。

罪のせいでそうなっているのかも知れないと思いつつ 、 どの罪か分からず、 悔い改めたいという思いで祈り求めるのと同時に、とにかく神様が喜ぶことがしたいですと祈り求めました。

するとふと、忘れていたこの事を思い出したのです。

どこかでまだ、自分の生活を気にしている自分がいたことや、利得を求める気持ちがあったことに気付かされました。

しかしこの事を思い出したことで、

「やっぱり神様の為に生きることで全て与えて下さると信じよう」

「それが絶対の道なのだ」と改めて悟ることができました。

すると、胸の痛みがなくなり、また心が解放され、軽くなったのを感じました。

神様が、そんな私にこの事を思い出させてくだっさったのだと、本当に神様の憐れみ深さに感謝で満たされました。

同時にこの事を証することが神様が喜ばれることなのではと思い、書かせていただきました。

私達は、色んな常識や固定 観念の中で生きています。その最たるものは

【マイホームを持って、子供を生んで家族仲良く暮らすことが人生最大の幸せ であり、ステータス 】

などという固定観念ではないでしょうか。

しかしコロナパンデミックが起こり、その常識が崩壊したといっても過言ではないのではないでしょうか。

しかも実際の所、そのように生きて幸せに生きられている人がどれほどいるでしょうか。

私が知っている限り、大金を借金をして家を買ったことで、一生その借金を返すために会社の奴隷になって働かなければならない、夫婦共に借金を返すための人生を送っている人がほとんどです。

また逆に、今までローンを払うことに心血を注いできた人が、ローンを払い終えた途端目標を失って生きがいがなくなったと言う話も聞きました。

子供を持てば幸せという概念も、実際に信仰生活をすると、夫も子供もすぐに信仰を持ってくれれば良いですが、そうでないと、足かせになると感じることが多々あります。

一時期は公務員が安定だからといって親が子になってほしい職と言われていましたが、公務員の自殺率が多く、仕事中に飛び降り自殺をする人も多いと聞きました。

何のために生きるか、確固たる基準が間違っているから、今回のコロナのようなことが起こったり、基準にしていたものを失うと、絶望だと思ってしまう人が多いのだと思うのです。

この世の理想や常識は、全てイルミナティが一見幸せそうに見せかけて、人間を奴隷にするため、自分たちの利得になるように仕向けているだけなのです。

神様を信じる私達も、一時的に失うことはありますが、日頃から御言葉で「捨てなさい」と仰られていますし、神様の為に生きていればまた与えていただけると思えます。

また、節約が絶対に悪いとは思いません。節約中も、お金がないながらリメイクをしたり、それなりに楽しんでいました。

しかし【何を基準に生きるか】

ここを間違うと、絶対にどこかで自己矛盾や虚しさを感じてくるのだと思いました。

損得勘定は罪という考えを知っただけでも、どれだけ生きる基準が変わって余計な心配がなくなったことかと、今振り返ると思うのです。

私は父のためにお金を使ったと書きましたが、その時はまだ神様に出会っておらず、神様の為に生きることを知らなかった時でした。神様は、家族を捨てなさいとも仰られています。

それは、神様より家族を第一に生きると、

人間は間違った基準で生きてしまい、結局苦しむことになることを、神様は誰よりご存じだからです。私もそれを何度か経験しました。

それは家族だけでなく、仕事や趣味など全てにおいてです。

なので自分の利得を捨てることで得られる事を私に悟らせるためにこの事を起こして下さったのかも知れません。

神様の為に生きることや、神様の喜ぶ生き方をすることは、今まで全くそうしてこなかったため、どうしてもズレてしまったり、なかなか自分の考えを捨てきれなかったり、時に利得を求めてしまったりしてしまうことがあります。

しかし明け方悔い改め続け、 神様の願う自分になれるように祈り、実践し、実際に少しでも近づくのを感じるほど、

「やっぱりこの生き方だ」

と 心や霊が喜ぶのを感じるのです。

そんなに簡単なことではありませんが、行ない続けることで、確実に成長しているのを感じるとそれが本当の私達人間が目指すべき生き方なのだなと実感するのです。

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