御言葉に出会ってから約2年半。
御言葉では、お祈りの重要性を沢山伝えてくださっています。
RAPT有料記事116(2016年10月31日)明け方の祈りにはどんな意味があり、どんな効果があるのか。
RAPT有料記事372(2019年5月6日)明け方の祈りを毎日きちんと守る人は、主の守護を受け、主から必要な全てのものが与えられる。
しかし初めの方はなかなか理解できず、また身体自体も、明け方の時間に起きる事が苦痛だと思っていました。
しかし起きられて実際にお祈りをすると、良い気を受け、体がスッキリするのを感じ、お祈りして良かった!と必ず感じました。
明け方お祈りをした事で、起きなければよかったとか、後悔した事は一度もありませんでした。むしろ逆はありました。
しかしそれでも初めの方は起きるのが辛いと感じてしまっていました。
そんな中、ある日の御言葉で、「家で祈りにくければ外でお祈りをしてみなさい。」と宣布してくださいました。
極度の寒がりの私は、頑なに「それだけはできない」と思っていました。
当時の私は御言葉を全てに従おうとするのではなく、従うのが難しい御言葉は、自分にはできないと、端から決めつけてしまっていました。
「御言葉のつまみ食い」を正当化してしまっていたのです。
今思うと絶対いけないことなのですが、やりたい御言葉だけをして、やったつもりになってしまっていました。
しかし、兄弟姉妹が頑張ってる姿をInstagramで拝見し、そんな自分を恥じて、行おうと決心しました。
夜中に外に出ることに対して、子供や夫に何て言おうとか、いろんな思いがありましたが、
意を決して真冬の雪の中を外に出て、お祈りに行ってみました。
すると、家の中では味わえないお祈りの充実感や、あれだけ怖かった寒さも心地よいとさえ思え、これまたやって良かった。と思えました。
この事は、自分の中の価値観が大きく変わった経験でもありました。
自分の中の絶対に変えられないと思っていた部分が御言葉に従ったことで変えられると分かったことで、
これからも、「できない」と今までは思っていても、できるかもしれないという希望にもなった一歩になったのです。
しかしそれでも初めの一ヶ月はとにかくやらなければと言う気持ちで恵みを求めるよりも、自分を律するような気持ちで行きました。
そんな日を過ごすうちに、毎日起きられるようになってきて、
始めはやらなきゃと言う気持ちで行っていたお祈りも、どんどんお祈りの恵みを知り、欠かしたくないという気持ちに変わっていきました。
夫にも何を言われてもやろうとは思っていましたが、どこかで反対されたら・・という思いもありました。しかし実際に伝えてみると、「このルートがよいのでは、ここで雪靴を買ってはどうか」と応援してくれているのが伝わってきました。
神様の御心のために行うのであれば、神様がよりできるように導いて下さるのだと感じました。
ただし先程書きましたが、お祈り以外の義の条件があまりにも足りなく、サタンにやられ、霊魂がズタズタボロボロになりました。
信仰をやめようかと、よぎりましたが、絶対に神様に縋り付けば回復できると信じ、心から悔い改めて御言葉に従順に従えるように努めていきました。
その期間の私は、あまりに日々サタンとの戦いで、明け方のお祈りが私にとって生命線でした。
日々の明け方のお祈りで、自分の汚れやサタンを滅ぼし清めてくださるのを如実に実感していましたから、1日でも怠っていたら、もうその日は起き上がれなかったのではないかと思うほどでした。
何ヶ月かたって回復した今、その期間に受けた神様の愛を悟り、やっと霊的に条件を立てる素晴らしさを悟り、お祈りがどれほど恵みを受けられるだけでなく、自分の成長にとっても大切かを悟りました。
また他にも、霊性を高めるためには肉性を削ぎ落とすことが大切だと教えて下さり、
週一断食祈りをするよう伝えてくださっておりますが
RAPT有料記事277(2018年5月19日)主は常に自分の次元を上げていく者の祈りを強力に叶えられる。
〇RAPT朝会2021年3月分
2021年3月12日(金)
徹底的に肉性をなくし、霊性を強めなさい。その上で義の条件を立てるなら、あなたは霊的に早く成長し、肉性に邪魔されることなく、主の考え通りに生きて、主の御心を壮大に成すことができるようになる。
初めて聞いた時は、苦痛でしかないと思いました。
信仰を持っていない人もそう思われるのではと思います。
初めのうちは、自分の体の事が気になって祈りをろくにしなかったり、肉的な事をしてしまったり、
週一行っていましたが、ほぼただの「断食」となっていました。
なのでほとんど恵みも感じられませんでした。
しかし真剣に悔い改め、ある時、ちゃんとやろう。と決心しました。
1日中霊的に過ごすと決め、お祈りを今までになく、行ってみました。
神様のために、「心を尽くして」行うことを意識しました。
すると、今までのただの断食では得られない恵みを感じ、次の日も霊の恵みによって動く事ができているような感覚になり、
今まで適当にやってきた事がもったいなかったとさえ思いました。
こんなに素晴らしいものだったのかと感じ、
それからは、それまでの気持ちとは全く変わり、「霊」が充電ができる日として、またより神様と疎通ができる貴重な日だと思えるようになりました。
また、罪を悔い改める事もそうです。
初めはなんて厳しいのだと思いましたが、悔い改めるほど自分の中の悪なる考えが消えて、なんて心が軽いのだろう、今までどんなに重荷を抱えていきていたのだと気付かされ、全ての罪を無くしたいと心から思えるようになりました。
実践したことで、それが私にとってもより良い生き方だと分かったからです。
御言葉に従うことは、一見人間の考えでは、こんな事して、ただ大変なだけではないか、苦痛ではないかと思われる事が沢山あるかと思います。
しかし行ってみると、全てが本当にやって良かった。と思うことばかりでした。行う前は考えられない恵みや祝福でした。
もちろん一気に栄えるとか、バーンと大きな祝福が得られるとか、そんな事はあり得ません。
しかし、御言葉の実践の積み重ねで、
人間の考えで生きるよりも、神様の御言葉に従い、導き通り生きれば必ず考えられない祝福を得られるのだと分かるようになりました。
神様は私達人間よりも、私達が幸せに生きられる道をご存知で、どれだけ人間の考えは小さいのだろう、間違った考えで生きているのだろうと、御言葉に従うほど気付かされるのです。
信仰をもってすぐ、早く成長したい!!という一心で義の条件を立て、結果御言葉のつまみ食いをしたり、罪の悔い改めを怠ったりしてしまいました。しかしそれでは本当の実力はつきません。
結果的に真っ当に行ったときよりも成長が遅くなってしまいます。
なので、御言葉に出会われて間もない方が読んでいらっしゃりましたら、
従えないとその時は思ったとしても、従えるように、祈り求めて行っていけば、神様が助けて下さります。
従う事が恵みだと分かれば、世の中の常識で生きるよりも明らかに素晴らしい生き方だと分かると思います。
御言葉に従うことは苦痛だというのはサタンの洗脳だと仰られましたが、本当にそう思いました。
2021年11月1日(月)
主の御言葉に従うより従わない方が楽だから、ユダヤ人は主に反逆し、その結果、この世は地獄のような世界になってしまった。主の御言葉に従うことは、そのときは確かに大変だが、後になれば全ての願いが叶えられ、後悔のない祝福に満ちた生を生きられるから、どれだけいいだろうか。
御言葉に従っていなかったときのよりも遙かに充実し、恵で、日々成長できる喜びを感じる事ができる生き方です。
このように生きていると、これからも神様の御言葉に従う方が絶対に幸せになれると分かりますし、世の中の常識がいかにサタンの作り出した間違った考えか。と実感します。
その間違った考えやサタンの洗脳から1人でも多くの人から抜け出すことができますように。
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