神様は家族のことを私以上に分かってくださる。だからただひたすら神様のために生きなさいと悟らせてくださりました。

御言葉を購入する半年前、父が癌で亡くなりました。

当時の私は真実を調べていましたので、抗がん剤が危険なことなどは存じておりました。

なので母に抗がん剤がどれだけ危険か分かるように資料を送ったりしましたが、母は余裕もなく、医者に勧めらるがままに治療が進められ、実際に治療が進むほど父は悪化して半年で亡くなりました。


rapt理論では、癌がないことは分かっていますが、父の闘病生活を通しても、一般的なガン治療の怪しさを重々感じました。

ガン利権に騙されるな!! 癌という病気は存在しない


父も治療によって死んだのだと思ってます。
今回はその件については割愛させていただきますが
詳しくはこちらの記事をお読みいただければと思います。



優しかった父のことが私は好きでした。
三人兄弟で唯一の女の子で、特に父から可愛がられていて育てられ、父っ子だった私は、父の死後、ふとした瞬間に涙が込み上げる日々を当時送っていました。

しかしその半年後御言葉に出会い、考えと生活が一変しました。

神様が存在してくださっていること。決して絵空事でなく、心情をお持ちであり天で生きていらっしゃる神様の存在のこと。

その神様が偉大な愛で私たち人類を愛してくださっていたこと知り、私の悲しみは一気に吹っ飛びました。

あれだけ悲しみにくれていた私でしたが、本当にその日から父の事は一切考える事がなくなり、神様と御言葉に夢中になりました。

神様が父の悲しみを癒やしてくださり、遥かにまさる神様の愛と御言葉によって喜びで満たされた日々に変わりました。

(誰でも御言葉に出会ってすぐは、神様の存在を信じることができるようにと、神様は聖霊を豊かに与えてくださるので、恵みでいっぱいの中で信仰生活を送る事ができます。私もこの期間に神様が私にも顧みてくださっているのだと確信した出来事がありました。)



しかし半年後くらいからは、自分の立てた義の条件に応じて祝福や恵を受けることができるようになります。そうしないと私たちが甘えてしまい完全な義人に育たないからです。

なので、紆余曲折いろんな事がありましたが、それでも父の死を悲しむ事はありませんでしたし、思い出す事すらほとんどありませんでした。


そんな中、少し前になりますが実家の母に急に贈り物がしたくなりました。

母の日とか特別なとき以外、そんな気持ちになることが今までほとんどありませんでしたので、自分でもなぜか分からなかったのですが、神様に祈ると聖霊を受ける事ができました。不思議でしたが、贈るものも、いつもは何にしようかとあれこれ悩むのですが、その時はパッとすぐに決まりました。

母からお礼の連絡をしてきた時、『三回忌の贈り物ありがとう。』

と嬉しそうに言われて、ハッとしました。
実はちょうど父の3年目の命日であったのです。

本当の三回忌は二年目に行っていましたので、3年目の命日のことをすっかり忘れていたのです。

なのでもちろんそのために贈ったわけではなかったのですが、神様の方が覚えてくださって私の考えを動かしてくださったのだと思い、私は感激し、神様に感謝せずにいられませんでした。

同時に、神様はちゃんと神様の事に集中していれば、必要なものを与えてくださり、全てを良きに計らってくださるのだと実感したのです。

このように、父のことはすんなり捨てられたのですが、一方で自分の子供に関しては悔い改めの連続でした。


御言葉では、家族を捨てなさいと仰られます。
それは、神様より第一に考えてはいけないという意味です。

このことに関しても、初めて御言葉を読んだ時は素直に受け入れることができ、御言葉に出会ってから8カ月ほど、子供そっちのけで御言葉を読んだり、調べ物をしたりと、御言葉を読む前と比べて、子供と顔を合わせる機会も一気に減りました。
お祈りに支障が出るからと、今まで同じ布団で寝ていた子供達と別の部屋に寝るようになったり、その時はそのことで、子供が可哀想とか思うことなく、むしろ信仰生活が送れる喜びに溢れていました。


そんな中でコロナの長期の休みが始まり、周りが友達とも遊べない、どこにも出かけられないとストレスが溜まり疲れ切っている中で、

私達親子は、個性才能を伸ばす時間となり、本当に充実した日々を送る事ができました。実はそのようにお祈りしていたので、神様が叶えてくださり、子供を捨てた分の祝福を与えてくださったのだと思いました。

実は下の子は、重度の慢性的な鼻炎で冬になると悪化して、後一歩で手術になると医者から怒られた事もありました。

なので夜中は何度も起きて布団をかけて体が冷えないようにしてあげていました。別々に寝るようになって、そこだけがネックでしたが、お祈りを優先させたいという感動の方が強かったのでそうしました。

その後どうなったかといいますと、不思議な事に鼻炎が驚くほど改善され、それ以来ほとんど鼻が悪くなることがなくなったのです。

神様が、神様の為に行動したから祝福を与えていただいたのだと思いました。

このように、一般的には例え非常識と思われることでも、素直に御言葉に従うと思いもよらない恵みや祝福を与えていただけることが何度もありました。

しかし、私たち達人間は長い間サタンの考えの中で生きてきましたので、完全に神様の考えに頭の中を入れ替えるには、御言葉をしっかり読んだ上で日々悔い改めないといけません。

霊界には神様が存在していらっしゃるように、サタンが確実にいて、私たちが神様に繋がらないようにあらゆる手を使ってきます。そのサタンとどう戦うべきかをこの御言葉で伝えてくださっていますので、きちんと読んで実践すれば必ず打ち勝つことができるのです。


しかし、当時まだ全ての御言葉をちゃんと読めておらず、サタンの攻撃についても理解していなかった私は、

子供への祝福を通して、『子供を優先させることを神様が望んでいらっしゃるのだ』と勝手な解釈をしてしまい、そこから子供に執着してしまう気持ちが出てしまいました。

それに気付かずにズレた信仰生活を送ってしまいました。

そんなある時サタンに主管されてしまい、

サタンに霊がズタズタにやられてしまいました。

霊的に鈍感な私でしたが、初めて強力に『霊的なサタン』の存在を確信しました。

透明のシャボン玉のような風船の中に、異様なまでのニコニコした子供の顔が私を押し潰してきました。私はもう苦しくて叫びそうになりました。

その時、ここにサタンが寄り付いたのだと、やっと自分の罪に気付きました。

それから悔い改めたいと祈り求める私に、神様は何度も色んな角度から悟りを与えてくださったり、分かるようにしてくださいました。

私も悔い改めて執着がなくなると本当に楽になって聖霊もいつも以上に受けることができるのですが、

何か問題があったりするとまた煩いが出てきてしまい、今でもですが、とにかくその都度悔い改めることの繰り返しです。


そんな中、遠方から友人が来ることになり手土産を見に行ったのですが、うちの子が好きそうなお菓子がありました。いつもは高いお菓子は買わないのですが、凄く感動があり、友人と家用に買って子供にあげると、もの凄く好みだったようで喜び感激していました。

私もそこまでだとは思わなかったので、神様は私以上に子供の事を分かってくださるのだと、改めて気付かされました。

ついつい生活の中で、自分が子供をどうにかしなきゃとか考えてしまう思い煩いが出てきてしまったりすることがあるのですが、心の中でその考えが無くなるようにお祈りをしていると、ふとサタンが抜けたように思い煩いが消え、『なんて無駄な悩みを考えていたのだ』と思い、御心に集中できるようになったりします。

しかしそれも、自分の中に子供への執着心が僅かでも残っているからこそ、サタンがそこに付け込むのです。

RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。

ですので明け方、二心を無くせるよう、いつも以上に必死でお祈りをしました。すると神様のために生きたときに子供に対しても祝福を与えていただいたことを走馬燈のように思い出し、

私があくせく、あれしてあげなきゃと動きすぎなくても、必要最低限の事をして、後は神様の御心に集中していれば、神様の方がちゃんと良い方向に導いてくださるのだと悟らせてくださいました。

そして、自分が執着を捨てるたびに家族が、よい方向に行くのが分かりました。


神様は私以上に家族の事を分かってくださるのだ。と思ったのです。  

この世の中では、当たり前のように家族を第一に愛することが常識となっています。しかし、御言葉では神様を第一に愛しなさいと仰られます。

サタンを拝む者達が神様に繋げないように、人間同士の愛をことさら強調してしまって常識を作り上げてしまったからです。

人間の力ではどんなときでも家族を守ることができるとは限りませんが、神様はおできになりますし、私たち以上に家族の事も分かってくださるのだと思いました。

RAPT有料記事270(2018年4月23日)主と通じた人は、この世に生きながら天国にいるかのような喜びを味わって生きられる人だ。

私たちが何を第一に生きれば良いか、何を重きにおいて生きるべきか、この御言葉で詳しく書かれたいます。御言葉の考えで生き、従順に従うほど確実に悩みや不安から解放され、本当の生きがいある生を送ることができます。

1人でもこの真理に気付きますように☆



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