『鬼』というと、神話の中の架空の存在だと思っていませんか?
『怖い』というのが共通のイメージでしょうか。
調べていくと『製鉄』と『鬼』は、深い関係があることが分かります。
結論から言いますと、鬼は空想ではなく、
『鬼のような人間』が実在していた。
その『鬼のような人間』は山の中で生活する『たたら製鉄集団』だったのです。
たたら製鉄についてはこちらをご覧ください。
なぜ恐れられていたのか。
それは山から出てきては人を襲い、しかも『人を食べる習性』を持っていたからでしょう。
彼らの実態を調べるほど、『天皇』や『イルミナティ』・『フリーメイソン』の象徴がそのまま重なってくることが分かりました。
「鬼」は製鉄民族だった
実は鬼の使う道具はほとんどが鉄製です。角も頭に鉄輪を逆さに被れば角に見えます。現在でも鉱山のほとんどには鬼の伝説がついて回ると言いますから、鬼の存在と製鉄民族とはやはり何等かの符合があると見るべきではないでしょうか。
これは私見ですが、 例えば、「あの山の中には鬼がいるから、迂闊に入り込んだら危ないぞ」みたいな使い方で、鬼というものは人々の間に実在的に使われてきたのではないかと思うのです。
ところが実際に山の中にいたのは恐らく独特の文化を持った漂泊民族ではなかったかと思えます。つまり鬼ではなく人がいたわけです。そしてそこに目を痛めた荒々しい鍛冶職人らがいたらどう見えるでしょうか。
一方、鍛冶の神様と繋がる製鉄民族はタタラを用いた製鉄方法を使っており、その火花が散ることで眼を痛めると言われています。これが尋常ではない眼の有り様のモチーフとなったのではないかとの意見もあります。
この、目の特徴というものが鍛冶の神様とつながり、
製鉄技術者の目の特徴だとすれば、太古の鬼とは古代製鉄民族の人々を指す言葉ではなかったでしょうか。鬼と語られるけれども、実は製鉄に携わった豪族か何かの襲来を示す物語だったのかも知れません。
これだけでも、鬼が人のことだったことがお分かり戴けるかと思います。
更に 『目の特徴』 『漂白民族』が、イルミナティ・ユダヤ人の特徴と重なりますね。
「一つ目の鬼」の正体は?
出雲風土記にはこんな記述があるそうです。
鬼は実在したのか
鬼とは辞書によれば想像上の怪物とされていますが、その想像はどこから生まれたのでしょうか。古い鬼の記述が出雲風土記にあります。(注1)
===============================
「古老の伝へて曰く、昔、或る人、此処に山田を佃り守る。
爾の時、目一つの鬼来たり、佃る人の男を食ふ。爾の時、
男の父母、竹原の中に隠れ居りし時に、竹の葉動げり。
爾の時、食はるる男、動動と云ふ。故、阿欲といふ。」
(訳)ある人が山田を作り守っていたところ、一つ目の鬼がやって来てその息子を食べてしまった。その時両親は竹原の中に隠れていたが、その時竹の葉がそよいだ。その時食われる息子が「あよあよ」と云った、そこで地名を阿欲という。(*1)(出雲風土記より)
===============================
この記述は阿欲(あよ)と言う地名の由来の説明書きで、一つ目の鬼が現れて人を食うと言う事態を物語っています。
古代にはこうした怪物としての鬼が実在感をもって語られていたのでしょう。
一つ目の鬼が人を食べるという言い伝え。
鬼が人だったとすると、一つ目とは何を意味しているのでしょうか。
「たたら製鉄」は、火を相手にする仕事です。
しかも相当な高熱で、約1000℃にも達する火の光を見ながら仕事をしなければいけないため、両目ではなく片目で見続けるうちに失明する人が多かったようです。
山に住み、「たたら製鉄」に従事する「片目が失明した荒々しい人達 」が、「一つ目の鬼」と呼ばれていたのではないかと思われます。
結果、鍛冶と切っても切り離せない天目一箇神に転訛していったのだと思われます。
たたら製鉄に一つ目の神様が出てくる理由は、たたら製鉄に従事する人たちの職業病との関連が指摘されることが多いです。
どんな職業病かというと、失明です。たたら製鉄は、炭を「ふいご」という人力の送風機で、約1000度くらいまで加熱します。そして村下(むらげ)と呼ばれる責任者が、たたらの「のぞき穴」からこの光の色を見て、たたら炉に砂鉄を投入するタイミングなどを見計らっていました。
僕も1000度まで熱した炭を見たことありますが、明るすぎて直視できません。この光を、のぞき穴からずっと見続けていたので、失明された方が多かったようです。これが、たたら製鉄の職業病の一つである失明(眼病)です。そして、これが天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の一つ目の由来であるとする説が一般的です。
その一方で、ホツマツタエという古文書には、
「刀というものは、罪人と言えども人を斬るためのものであり、そういう道具を作る時には両目を開けて作ってはダメだ」
というような記述があるそうです。(こちらから)
ホツマツタヱはカタカムナと共通点が沢山あるようです。書いた民族は違えど同じ悪魔崇拝者でしょう。
RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。 (rapt-neo.com)
つまり「人を殺すときは片目を開けるな。」と言うようにとれますね。
隻眼 – Wikipedia にも、
生け贄の人間が逃亡しないように片目を傷つけていた
のが神格と同一視されるようになったとあります。
隻眼の伝承がある地域と古代の鍛冶場の分布が重なるそうです。
「鬼」のWikipediaにも 「目一つ」の姿 で現わされる見方があると書かれているくらいです。
しかも 隻眼が神の印だと書かれてありますね。
悪魔崇拝者からしたら、
隻眼(片目)=生け贄=悪魔
の象徴なのかも知れません。
更にこんな記述が
「片目」=「目占(めうら)」=「マラ」=「男性器」だっだとは。
先程も書きましたように
「一つ目」=「片目」はイルミナティやフリーメイソンの象徴ですが
イルミナティ達がこれだけ片目を傷つけたり、隠すポーズをとっているのも、先祖たちがしてきたことを受け継いでるのでしょうか。
イルミナティ達は実際に 淫乱なことをしては、悪魔に生贄を捧げたりしていますから。
たたら製鉄と生贄となまはげ
製鉄を行う際、鉄を柔らかくする為にカルシウムを必要としていたそうです。
その為に子供を犠牲にしなければならず、子供をさらう風習が全国的に残ったとあります。
縄文時代に製鉄を行っていたとはいえ技術が未熟なためカルシュウムが鉄を柔らかくする媒介になるとは知らず、子供が火の中に落ち、その時の鉄は柔らかに熔けた現実から、製鉄に子供の犠牲を必要とするようになった。
初期の製鉄にカルシュウムが必要とは知らず子供が必要と言う現実に「子供を犠牲」としたが、現実には子供をさらってきて製鉄の犠牲にした、という現実があったと言えます。そのために日本各地では「子供さらい」という風習が残った事が考えられます。
人間の骨が製鉄に欠かせない現実は次の製鉄技術の新発見まで続いたと推定されますが、人間の骨が製鉄に必須では無く「カルシュウムが製鉄溶解に必要」だという技術に気付き貝殻や動物の穂名が使われる技術が生まれたのが、出雲の櫛灘姫物語のヤマタノオロチの時代だった=日本武尊は櫛灘姫を人身御供にすることなく剣をかざしてヤマタノオロチを退治した訳です。製鉄の剣の時代は人のカルシュウムで製鉄を行うで無く、貝殻とか動物の骨で代替えできる事、代替えする技術に発展したと考えられます。以上金屋子神を祀る製鉄者の間では子供の犠牲を要求する時代があった。
そしてその縄文時代の製鉄初期時代の風習として、「全国に分布する子供狩り」と言うべき行事が5000年の昔むかし、製鉄が行われていた日本の現実の文化だったと言えるのです。
余談だけどなまはげ=怠け者を製鉄の犠牲にするなら非難は半減するという現実から怠け者(子供)をさらって行ったのだろうと考えられる。
鬼=製鉄技術者だが貧しい時代だから蓑傘を着て隣町の悪い子供をさらった事が推定できる。
蓑を着た鬼は外から来た(村人ではない製鉄技術者)の文化であり、貧しい時代の象徴でもあり、村外の人という意味合いだとも推定できる。以上の真実が全く消えた形ばかりの文化・伝統文化=なまはげ行事が今後も残されるのでは寂しい限りだが、この貴重な文化・伝承が全く消えてしまうよりは行事だけでも残った方がましかもしれない。
東北は蝦夷であり、製鉄も盛んだったので、
『鬼』=『なまはげ』=『製鉄者』
といことですね。
本当に子供が襲われて生け贄にされていたのでしょう。
更に 『なまはげ』 繋がりで興味深いことが分かりました。
「男鹿のナマハゲ」 は2018年にユネスコ無形文化遺産 として登録されたそうですが、その前に登録されていた、「甑島のトシドン」 と類似していると指摘されたそうです。
「来訪神:仮面・仮装の神々」のユネスコ無形文化遺産登録(代表一覧表記載)について | 文化庁
「来訪神:仮面・仮装の神々」は,我が国より提案した「男鹿のナマハゲ」が平成23年のユネスコ無形文化遺産保護条約第6回政府間委員会(バリ・インドネシア)において,既に登録されていた「甑島のトシドン」との類似性を指摘され,「情報照会」の決定を受けたことを踏まえ,国指定重要無形民俗文化財(保護団体認定)の10件を構成要素としてグループ化し,「甑島のトシドン」の拡張提案として提案したもの。
「男鹿のナマハゲ」は有名ですが、「甑島のトシドン」は馴染みがないですよね。
「甑島のトシドン」はこちら
確かに似ていますね(笑)
しかも甑島は、クロ宗という、人が死ぬ前に心臓を取り出す『生き胆とり』という悪魔教をしている集落だと暴かれています。(こちら)
更に興味深いことに、甑島は明らかにイスラエルとの繋がりが見受けられるそうで、
神様の裁きで国が崩壊して逃れた、悪魔崇拝者が混ざったユダヤ人たちが辿り着いた場所だそうです。
北イスラエルと南ユダの崩壊により、難を逃れて日本にやってきたユダヤ人たち。
彼らは悪魔崇拝者で、父親が子供の肉を食べたり、子供が父親の肉を食べたりと、まさに非道の限りを尽くしていました。
エルサレムの緯度 北緯31度47分 と同じ緯度に位置するのは、中甑島です。
中甑島の ヒラバイ山 の緯度は、31度46分で、エルサレムとほぼ同じです。
ヒラバイは、イスラエル を意味する ヘブライ と呼ばれていたようですが、徐々に訛って、ヒラバイ となりました。
こしき の語源も 蒸し器 を意味する ヘブライ語 でした。
甑島にある甑大明神は、巨大な磐座で、こしきの形状に見えることから、 こしきじま と呼ばれるようになったそうです。
遠くから同胞が見てもわかるように、指標の役割もあったのでしょうか。
結局「鬼」や「人肉食」や「生贄」などの話は、悪魔崇拝者が混ざったユダヤ人からきたものだということですね。
話は戻りますが、
「製鉄に必要なカルシウムを得るために子供を犠牲にする」のは確かに初期のころはそうだったのかもしれません。
しかし、子供を悪魔の生贄にするための言い訳のように聞こえます。なぜなら、先程載せた話のように、『鬼』自体が人を食べたという話がたくさん残っているからです。
製鉄とアニメ・ドラマ
それを漫画にしたのが『鬼滅の刃』ですね。
『鬼滅の刃』は読んだことがありませんが、主人公の妹が『人の血肉を欲する鬼になった』のだとか。
この記事で書いてきた 「製鉄」「鬼」 「人肉食」の要素がたくさん含まれています。
ここからは鉄イコール製鉄と捉えていく。実はこの作品の中には、製鉄と縁が深そうな人物が沢山出てくる。
まずは主人公の竈門炭治郎。
カマド、炭と名が表す通り、炭治郎の家は代々炭焼きである。この木炭はたたら炭ともよばれ、たたら(風を鞴に送って火を焚き鉄を溶かす)に不可欠なものだ。また同じく生業にしているであろう杣についても、かつては士農工商の外の仕事であり、山師や鍛治師とともに古代製鉄民とは縁が深い。
柳田國男らの著作にも炭焼長者として紹介されている「炭焼藤五郎(芋掘り藤五郎)」の説話では、やはり炭焼の藤五郎は鉱山師と関連づけられている(イモは鉱山用語で富鉱)。これは無欲な炭焼(芋掘り)藤五郎の元に観音様のお告げを聞いた姫が嫁に来て金塊を見つけ幸せになるという類の話だが、一説にはこの姫が顔に痣があると伝えられているのが興味深い。
さらには竈門家に代々伝わるヒノカミ神楽は、名前からして明らかに出雲神楽であろう。出雲神楽は中国島根雲南地方に伝わる伝統芸能で、日の神アマテラスオオカミが天岩戸にこもった時にアメノウズメノミコトが踊った舞とされ、その内容は出雲の斐伊川にまつわる神話だとある。古代出雲は鉄の一大産地であり、中央に匹敵する力を持った国であった。斐伊川も調べれば製鉄とは縁深い。
他にも「もののけ姫」は「たたら製鉄」を背景にしたアニメです。
映画『もののけ姫』をたたら製鉄から読み解く – Ⅲ 物語の世界に見るたたら製鉄 – 鉄の道文化圏
ちなみに宮崎駿は小児性愛者であり、 ジブリは実際に少女買春、幼児誘拐などの関わりがある可能性大です。
製鉄を前面に出さなくても、登場人物の名前が『製鉄』関係な「東京喰種」(こちら)
登場人物
- 金木 研
- 黒山羊
- 亜門 鋼太朗
- カナエ
- タタラ
- ノロ(砂鉄に含まれる不純物のこと)
- オロチ(ヤマタノオロチは製鉄に関係する話だと言われています)
「東京喰種」 は思いっきり人食いの話ですね。しかも「 隻眼 の王」なる人が出てくるようですが、やたら片目の登場人物が多いです。
「鋼の錬金術師」も名前からしてそうでしょう。
このように、「製鉄」と「悪魔崇拝」はセットで進行してきたことが分かります。
どれもイルミナティが推す作品のようですが、知ってしまうと悪魔的過ぎて見られないですね。
というか、製鉄に限らず、アニメやドラマは悪魔的なものばかりです。
是非こちらを読まれることをお勧めします!
RAPT有料記事376(2019年5月25日)私たち義人がイルミナティの滅びを祈り、天の文化・芸術を成していくなら、イルミナティは速やかにこの世から居場所を失って滅び去るだろう。
『鬼』と『天狗』と『ひょっとこ』は同じ?
『鬼』は製鉄と関わりがあることが分かりましたが、『天狗』と『ひょっとこ』もたたら製鉄と関係があるようです。
ひょっとこの口が飛び出ているのは、たたら製鉄をする際の火を吹く姿を現しているようなのですが、天狗の鼻が飛び出ているのも同じ様子を表しているのでは。
“ひょっとこ”の語源は、たたら製鉄での“火を吹く男”が転訛したと言っていたことを覚えている。ひょっとこ面を付けて踊るユーモラスな安来節は江戸時代の末期に完成したが、どじょう掬いは“土壌を掬う”で、上古から出雲地方に伝わる川中の砂鉄採取の砂鉄と砂を振り分ける動作を取り入れたものだ。
鞍馬山で牛若丸(義経)が天狗から修行されたというのは、冶金術を教わっていた!
・若き日の空海が山の中で修行した時には、修験を通じて鉱物を見つけることも関係していて、そこで水銀の出る高野山に注目した。
・手ごたえで金属が含まれていると分かり、次にその岩の上で火を焚けば一種の天然の溶鉱炉になり、溶け出して注出した金属を精錬すれば良い。
・それが鞍馬の火祭りという修験者の儀式になり、そうやって大地の恵みを火を使って回収する。
・修験道は火と水を使って採鉱と冶金を行い、火と水の間に土が入った儀式だからヒミツとされ、これが日本の山伏が伝えて来た錬金術であり、東洋的な神仙道の言葉では練丹術の実践でもある。
・鞍馬山で牛若丸がカラス天狗を相手に修行し、天狗や鬼が冶金をする山人の別名であり、その実態が冶金術にあった真相はこれである。
古来、天狗というのは深山の怪異怪音などを総称したものでしたが、この時代には人間的な実体として山伏の姿が定着します。即ち、義経が兵法を学んだのは天狗=山伏=山岳修験者集団ではなかったかということです。
古代の山伏は単なる呪術者集団ではなく、山に根拠地を持ち、国家権力をささえる金属、山にねむる金属資源を支配していた高度の科学技術者集団でもあったのではないかと言う意見もあります。(内藤正敏氏「古代金属国家論」)
だとすれば、鉄に関わりしかも平地に定住しない彼らは正に鬼の特質を備えていたまつろわぬものと言えるでしょう。
鬼滅の刃にも『ひょっとこ』と『天狗』両方登場します。
刀鍛冶の里の長に育てられたんだとか。
『鬼』になったのは「大和族」に敗れた「出雲族」
東北は非常に鬼伝説が多いそうです。
東北といえば、『蝦夷』ですね。
大和朝廷が建てられた際、大和族(秦氏)VS 出雲族の戦いで、大和族が勝ちました。
敗れた方の『出雲族』が落ちぶれて『 エタ 』となり、『 被差別部落 』として日本各地に住み着くようになったようです。
【出雲族】=【エタ】=【蝦夷】ということですね。
中央政権に追われた『まつろわぬもの』=鬼
もう少し具体的に「まつろわぬもの」たちというのはどういう人々のことでしょう。
古くは大和朝廷が成立しようとするころ、これに激しく抵抗した勢力のことです。
彼らは熊襲、土蜘蛛、八十梟師、国栖、蝦夷などと鬼か妖怪のように言われました。飛騨地方の伝説である両面宿儺などもまつろわぬ者だったのではないかと言われます。
平安京という都が出来たころのまつろわぬ者とは、都の一般人からは理解を超えた異界に接した異能の存在と思われていた人々と言えるでしょう。それは以下のような人々だったと言われます。
(1) 宗教・神事集団…祈祷や呪術を業とする者達
山伏(修験道)、御師(おし)、勧進聖としての六十六部、陰陽師、巫女、盲僧、万歳師、猿(猿廻し)
(2) 芸能集団…芸能を行い、また祝詞を述べて金品を乞う者達
乞胸(ごうむね)、願人坊主、香具師(やし)、座頭、瞽女(ごぜ)
(3) 異能技術集団…漂泊し、渡り歩く職人・職業集団
木地師、金掘り、鍛冶師、鋳物師(いもじ)
(上記分類は参考*7による)
いずれも漂泊を主とし、全国を行き来して行商を行いながら、同時に全国の情報に通じていた人々です。
そのことについて民俗学者の小松和彦氏は
「移動しているから諜報機関にもなるし、変なものを仕入れてくるという情報ネットワークにもなる。」と語っています。
そこには隆盛を誇る貴族階級への恨みの情が流れており、その情が深いが故に鬼となったと考えることもできます。
製鉄技術を持って中央政権から追われた人々が、あるいは東北に落ち延びて鬼の国で独自の鍛冶文化を作っていったのでしょうか。
奈良平安時代の鬼というものの捉え方とは、恐らく怪物というよりはそうした「人」が変じたものだったのでしょう。あるいは逆に鬼とされる人々が普通に人としての姿で都に出入りするということもあったのかも知れません。
すると、奈良平安時代には鬼とは製鉄民族に限らず、都の外の得体の知れない場所に住んでいる恨みの情を持つ者どももまた鬼であった可能性があります。
【エタ 】になった落ちぶれた出雲族が、大和族(中央政権)に恨みを抱きながら山の中で【鬼】のような生活をしていた。
のではなかったかと思います。
(※全ての出雲族がエタになった訳ではなく、中央政権に入った出雲族もいたようです)
国を持たぬユダヤ人であるがゆえに、製鉄の他にも上記のような職業をしながら山で生活し、異質な存在として人から恐れられていたのですね。
『鬼』という言葉は、勝った大和政権側が出雲族に対して侮蔑する意味で使っていたのかもしれません。
出口王仁三郎も?
出口王仁三郎といえば、 創価学会、生長の家、真光、オウム真理教などの宗教団体の生みの親ともいえる カルト宗教 『大本教』を作った人物です。
コロナパンデミックも 出口王仁三郎の計画だと分かりましたが、そんな人物の計画を実行するほど
現代でも、日本の政財界の大物、芸能人、有名人たちは、ほとんど全員、出口王仁三郎を崇めています。
【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!!
彼の名前は『おに』三郎と、おにが付くわけですが、やはり出雲族ですから、少なからず関係はありますね。
この書は大本教の尊師・出口王仁三郎の予言について述べたもので、内容については措くが、
「王仁三郎の出自の穴太村という所は、穴太衆という海人の石工集団がいたところである。
その土着の名家である上田家は生粋の海人族〔朝廷に漁業をもってつかえる1族。漁業のみならず石工、製鉄、木師などの職人集団を形成した〕であった」と述べており、
さらに「王仁三郎の説いた〔国常立大神はトルコのエルサレムから来た〕には、海人族上田家に伝えられる何らかの口伝が影響していたのかもしれない」と、期せずして上田伝承の存在に触れているのには驚いた。
https://plaza.rakuten.co.jp/shiritaikoto/diary/201210180018/
ここ最近は、九鬼家が出雲族の主犯だと暴かれましたが、やはり『鬼』は悪魔の象徴ともいえそうです。
ビル・ゲイツの別荘は、JAL123便事故を起こした犯人たち(九鬼家、青山家、李家)の悪魔崇拝施設だった!!
『鬼』は人の心を表す
先程、
恨みの情を深く持つようになったのが鬼
とありました。
人が鬼に変じる話も数多くあります。人が人肉を食すると鬼に成ると言われ、茨城童子などは床屋の小僧が人の血を口にしたことから角が生えて鬼になります。血の味を知ってしまったために鬼に変化してしまったのでした。
嫉妬に狂った女が鬼に変じたのが般若ですが、能楽で出てくる生成りとは女が鬼に変じきるその手前の段階だと言います。つまり人間はその情欲の深さから鬼に変じることがあるということです。
こうしてみると鬼というのは、人間と別の種族という訳ではなくて、人間が情欲によって変じたもの、あるいは死んでもなお強い情念に駆られて霊的に怪物になったものと考えた方が良いようです。
鬼というものは、激情の果てに、あるいは人を食うほどの罪の果てに、人間が凋落した姿と言うことができるでしょう。それは身体の特徴というよりは心の特徴です。
最近の週刊誌では、子供を虐待死させた母を鬼と表現していましたが、正に姿形は人であっても、心の形は鬼というのが、人が鬼に変じた姿なのかも知れません。
この記事はとてもいい得て妙だと思いました。
確かにイルミナティ達は昔から人を襲って食べたり、人を騙したり、人とは思えない者たちです。
しかし何が一番『鬼』のようかと言えば
『心』であり
恨みつらみ・嫉妬が溜まりに溜まっている、心が『鬼』のようなのではないでしょうか。
御言葉では、それらの悪なる感情はすべて『罪』だと教えてくださいました。
それらの感情をなくし、心を清めることの重要性を日々教えてくださっています。
神様は罪がない清いお方であるのに対して、悪魔 は罪の塊です。
RAPT有料記事125(2016年12月3日)神様が与える祝福とサタンが与える祝福の違い。
悪ばかり行って心穏やかに生きられるわけがありません。
しかし、私たち人間も、 悪魔 の考えの中で当たり前のように生きています。
人を食べるまでにはいかなくても、罪を放っておくと、苦しみが募ってイルミナティのように取り返しがつかない人間になりかねません。
彼らは『鬼』や『悪魔』をまるで誇りのように崇めているわけですが、心がドロドロだと主張しているようなものです。
レディーガガが魂をイルミナティ暗黒勢力に売ったことを後悔しているという嘘(閲覧注意)
そしてこのように、行きつく先は地獄なのです。
罪が何かを学び、罪を悔い改めて、神様の考えで清く生きることしか、心を平安に保ち、かつ本当の生きがいある生き方はできないのだと、御言葉で教えてくださいました。
それは私も御言葉を学ばせていただいている今、日々実感しています。神様の考えで生きている今と、罪の考えの中で生きていた時とは心の状態が全く違うからです。
心も体も平安に、本当の幸せを感じて生きられる生き方はこちら。
コメント
ルパン三世のマモーの正体。それはプロテリアル安来工場で開発されたSLD-MAGICという高性能特殊鋼と関係している。ゴエモンが最近愚グリーン新斬鉄剣と称してハイテン製のボディーの自動車をフルスピードで切り刻んで、またつまらぬものを斬ってしまったと定番のセリフ言いまくっているようだ。話をもとにもどそう、ものづくりの人工知能の解析などを通じて得た摩耗の正体は、レジリエンス性も考慮された炭素結晶の競合モデル/CCSCモデルとして各学協会で講演されているようだ。