3日間の断食祈りの感想。思っても見なかった事が沢山あり、忘れられない思い出となりました。

あることをきっかけに、3日間の断食祈りをすることになりました。詳しい経緯についてはこちらをご覧ください。

過去に3日間の一度断食祈りを行ったことがありました。

それは裁かれ、サタンにやられて霊魂がズタズタになったときでしたので、身も心もボロボロすぎて、2日目の途中辺りからもう体力が無くなって、お祈りをする余力も無く、明け方なんとか起きてできましたが、日中は家でもうただただ横になって倒れるだけで、

断食祈りではなく、ただの断食になってしまい、苦しいだけでした。

しかし今回は違います。

より前向きな目標に向かって行いました。

行う前は、3日目は苦しくてまた倒れてしまうかな、それかものすごい祝福があるかな

なんて予想してみましたが

行ってみて、予想とは全く違いました。

1日目・2日目・3日目全てが違った感動がありました。とにかく行って良かったです。

私としては「断食祈り」というと苦しい中でのお祈りというイメージがあったのですが 、1日目は天気がもの凄く良くて、いつものお祈りの場所の目の前の川の水面がキラキラ輝いてまぶしいほどで、あまりに天気が良いのでちょっと移動して場所を変えてみたのですが、 

どこもこんな場所あったんだ、こんなに綺麗な自然があったのか

など、どこにいっても神様が祝福して下さっているような気がして、場所を整えて下さり、神様が作られた自然の素晴らしさを堪能しました。

お祈りも深くできましたが、そちらの方が印象が大きかったです。

2日目の朝、早くも「今日できるかな」と少しマイナスの気持ちになってしまいました。

人間の気持ちはコロコロ変わるといいますが、自分ではそんなこと思いたくないのですが、自分の意に反して思いたくもない気持ちに支配されてしまい、その都度お祈りして修正すると言うことが、信仰生活をしていて何度もありました。

しかし、最近はだいぶなくなってきたと思っていたのですがまた早くも2日目に思ってしまいました。

しかし御言葉を読んだらやる気に満たされ、よし、やろう!と思え、行うことができました。

御言葉は霊魂の栄養だと、本当に実感しました。

その日は1日目と違ってずっと曇りで、逆に集中して同じ所でお祈りができました。

私は自分の御心が、おそらくこうなのかな。こうなってほしいな。という事は日頃から思っていて、お祈りしたり、またその事がどんどん整えられていったりするのでそうなのかなとは感じていたのですが、

本当にそれが自分第一の御心なのかは分かりませんでした。

しかし、その日お祈りをしているうちに、それが強力に行いたいという強い感動が今までになくきて、やっとその日からのお祈りも、その事をもっと強く求めよう!と思えるようになりました。

その他にも、その日はずっと疑問だったことの1つがスッキリしたり

悟ることが沢山ありました。

まるで11月11日のようでした。

RAPT有料記事224(2017年11月13日)11月11日は主と私たちが互いの愛を確認し合い、互いの愛を深め合う日だ。〈主の祝祭の日についての御言葉〉

前回は2日目の途中から家でダウンしてしまったので、どうなることかと思っていましたし

3日目の朝もまたマイナスの気持ちになってしまったら。と思っていたのですが、

むしろ真逆でした。

2日目の明け方のお祈りも深く入り、3日目は、これが「霊的な恵か」と、もう幸せの余韻に浸っているという、今まで経験したことのない恵みでした。

3日目は雨でしたが、レインコートを着て、

雨が降ると賛美が思いっきりできるという利点があるんです^^

「主は道を作られる」 という賛美を捧げているとき、

私は罪を犯して大きく裁かれたのに、こんな私にも神様が道を用意して下さったことに、涙が溢れて感謝の思いに溢れました。

そして、今まで天候を神様が沢山恵んで下さったから、今度は雨でも捧げます。という誠意を見せたいと思いました。最後の3日目もずっと雨の予想だったのですが、お祈りの場所に着いたときには止みました。

今回の 今回の断食祈りは、 神様のお導きでもあったと思うのですが

私は、なかなか自分が犠牲を捧げていないのではないか、という思いもあり、すこしでも捧げたいと思って行いました。

しかし、犠牲どころか終始神様が用意してくださった恵みを受ける運びとなりました。

3日間、河原という、自然と酸素が豊富なところで行ったのも大きかったと思います。

3日目の日中断食を終えて帰宅するときは、断食をしているなんて感じないほどでした。

しかし、家に帰るとだんだん気が抜けてしまい、お風呂に入ったとき、酸欠になったせいか苦しくなってしまいました。たまにあるのですが、すぐに神様を求めたら、いつもより早く回復をしました。

今回はとにかく、「神様の為に」「心を込めて思いを尽くして」行うことを意識しました。

前回は、自分の身体のことばかり気になってしまい、あまり力を使ったらどうにかなってしまうのではないか、と終始心配で、実際に途中で倒れました。

しかし今回は、苦しいときこそ神様の為に力を振り絞ろうと意識しました。

すると本当に驚くほど思いもよらないパワーが沸いてくるのです。

霊のために生きるとが肉が助けてくれるようになると教えてくださいましたが、まさにその事を実感しました。

御言葉を知らない人が、断食祈りと聞くと、まるで修行のように思うかも知れません。

しかし、御言葉で宣布されることは、人間の考えでは辛そう、大変そうだと思っても、行ってみると思ってもいなかった感動や祝福の連続なのです。

何度、良い意味で固定観念を崩されたことでしょう。

本当に今まで生きてきた常識の方が人間を苦しめる生き方だったことに気付かされます。

このように間違った考えを抜いていく事が、まずは三年間の信仰生活で私達が行うべき事なのだと思いました。

是非、実践してみてこの素晴らしさを知っていただきたいです^ー^☆

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