人に認められようと生きるのではなく神様に認められる生き方。神様が喜ぶことを褒めてあげる。そのためには。

私は元から人によく見られたいという思いが人一倍ありました。

ですが、それが罪だなんて全く思っていませんでしたし、相手の気分を良くすることが良い事だと思っていました。
そんな自分にある意味酔っていたのかもしれません。

繕う、装う事が当たり前になっていました。

しかし、確固たる軸が無いので、その場その場の対応になってしまい、

長続きしないので、結果的に相手を傷つけてしまったりすることもありました。

自分では正しい事をしているつもりなのに、なんでそうなってしまうのかが分かりませんでした。

「偽善は罪」

だと知らなかったからです。

RAPT有料記事150(2017年2月27日)あなたたちが聖書の預言を実現する人たちだ。善と悪をしっかりと裂きなさい。

学問だけでなく、生きていく上で正しい真理を知っていないと、良かれと思ってしたことでも罪を重ねてしまうことになります。

神社仏閣が悪魔がいると分からずに熱心に拝んでも、神様の心情を気付けてしまい、罪なのと同じです。

罪を行うと、絶対に正しい道にいけませんし、サタンがよりついて幸せにもなれません。 



御言葉を読んでいながらも洗脳が深かった私は、長年こびりついていた「人によく見られたい」という思いをしっかり悔い改めないまま、途中からSNSをやり出しました。

すると信仰生活も、気付くと「人から頑張っていると思われたい」という自分が出てきて、むしろそれが罪だとも気付かなくなっていってしまいました。

ある時裁かれて、何もかも失うくらい霊魂がボロボロになりながら、
それでも神様に縋り付きました。

信仰者としてあるまじき事なのですが、
それまでは、人からよく見られることが自分の生きがいになっていた私ですが

全てを失ったと思いました。

しかしその期間

神様から助けられる事を何度も経験した私は、

「これからは神様の為に行おう」と、 キッパリと切り替えました。

すると、霊魂がすっと落ち着いたのを感じたのです。

そこからが本当の信仰生活だと思いました。

もちろんその後も色んな葛藤がありましたが、一つ一つ神様を第一にしていない考えに神様が気付かせて下さり、排除するよう努めていきました。

実際、御言葉に従うにしても、今までとは中身がまったく変わりました。


人間の霊魂は、神様の御言葉通り生きる事、偽善ではなく、神様の為に生きる事を本当に望んでいるのだと思いました。

しかし、今まで人々は霊魂について知るすべがなく、知覚できない人がほとんどなので、霊魂の苦しみに気付いていないのだと思います。

学校では、良い事をしたら先生に褒めらるわけですし、もちろん家でもそうです。

挨拶を人一倍したら褒められる「あいさつ運動」とか、どうかと思います。

マスクを付ける害が沢山あるというのに、マスクを付けると褒められ外すと怒られたり。

人間の考えや目線で褒めると、

間違った事を良いことだと見なしたり、また逆も然り。

また人からよく見られたい、褒めてほしいがために行うようになったりするのではないでしょうか。

御言葉では、感情を制しなさいと仰られます。

RAPT有料記事358(2019年3月11日)自らの感情を制することのできない人は、主の体となって働くことができない。だから、感情を制することができるように自分を鍛え、作り替えなさい。

RAPTさんご自身、 どんなときも神様の考えで喜ばれ、神様の考えで怒られ、完全に神様と一体となっていらっしゃいます。

感情のままに生きることは自分の人生をダメにする(十二弟子・KAWATAさんの証) | RAPT理論のさらなる進化形

人間の考えというのは本当に狭く、サタン的で間違いだらけだと感じます。そんな考えのまま何かを行うと必ず失敗してしまいます。

信仰を持ってからも何度も経験しました。

逆に、神様の御言葉に忠実に、しっかり祈り求めてこれだと思ってやったことは必ず良い結果を結ぶということも何度も経験しました。

なので、神様のお考えをしっかり学び、どんな時でも人間の考えではなく、神様の考えで対応することが重要で、だからこそ、「神様」に近づけるのです。

神様が喜ぶ事をした時に褒めてあげる。


そのためには、まず親がしっかり正しい考えで生きなければいけません。

そして実践して悟る事だと思いました。
自分を変えられない人間が人を変えることができないと仰られましたが、本当に思いました。

子供に対して、「なんでこうしてくれないんだろう」と思う事が多々あります。

もちろん子供がまだ幼いからもあります。
しかし、自分自身が甘かったり、ちゃんと御言葉に従えていないことや、本当の意味で悟れておらず成長できてなかった部分が多いにあることに、最近気付かされました。

子供にこういう姿や部分を見せたい、とばかり思うこともまた二心で、

とにかく一筋に神様を愛し、その上で願っていることを祈り求めながら対応していくことが大切だと思いました。

RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。

まずは、この御言葉に出会われた方が、従順に従い、実践し、悟りを得られるように努力され、


人に見られようとするのではなく、 神様から認められるように生きることが何より大切だと思いました。
RAPT有料記事581(2021年8月9日)人に認められようとして生きるのではなく、主の前で価値ある者だと認めてもらえる人になりなさい。そうすれば、神様から大切に育てられ、大切に扱われるようになり、かえって人々からも認められるようになるだろう。

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