御言葉では、とにかく神様を第一に愛しなさいと仰られます。その次に大事なのは隣人を愛することです。
RAPT有料記事66 (2016年5月9日)神様を第一優先にする人こそ真の勝利者となる。
RAPT有料記事204(2017年9月4日)聖霊と愛は同じ波長だから、自分を捨てて主と兄弟を愛する者が聖霊を豊かに受けられる。
そうしなければ、必ずイルミナティやサタンに取り込まれてしまうからです。
例えば神様よりお金を優先させて生きていたら、せっかく伸ばした才能も、イルミナティにお金で釣られて巧妙にだまされて取り込まれかねませんし、お金だけではなく、異性や家族なども神様以上に大切にしては霊が神様から離れてしまい、本当の幸せにはなれないのです。
実際に御言葉を実践していく中で、人間の霊は神様に近づき、神様の為に生きることを望んでいるのだな、と感じることが多々あります。また、神様の為に生きる程、心が満たされ平安になるのを何度も感じました。
神様が喜んでいらっしゃるのを霊が感じるのだと思います。
それだけでなく神様を第一に愛することで、神様を愛するRAPTさんや兄弟姉妹から答えを与えていただいたり、恩恵を受けられたりするので、自分ももっと恩恵を与えられる人間になりたいと思えたり、相乗的に愛が広がるのですね。
本当に不思議と言いますか、このことを体感するほど、神様はこの世の中をこんなに素晴らしい世界に作ってくださったのだと、感嘆してしまいました。
しかし、どうしても日常生活の中で生活していると持ってしまう二心があり、なかなか無くせなくて、年末の裁きで、神様が無くしなさいと要求されているのが伝わってきました。
とにかく二心を無くしたいと明け方祈っていると、
自分が御言葉に出会ったときの感動を思い出しました。
御言葉では、御言葉に出会って間もない人には神様が存在していることをその人が確実に分からせるために、聖霊の恵を沢山与えて下さると教えて下さっています。
実際に私もそうでした(*´∪`*)
あの時の恵みや奇跡は本当に忘れられません。
神様に出会ったこと、御言葉に出会い従えることがもう嬉しくて、実際に神様が次々と環境を整えて下さったり、
もう御言葉・神様に夢中で、 あの時は、 それ以外のものはもうどうでも良いと、必ず後から与えて下さると自然に思えたり、そこまで無理に捨てようと思わなくてもそう思えたのです。
しかしもちろん精密にすべてができたわけではありません。気持ちが最高に満たされていたという状態です。
聖霊の恵ってそのような力があるんだ✨とその時のことをお祈りしながら思い出したのです。
しかし、その最初の聖霊の恵はそんなに続きません。私達を立派な使徒に育てて下さるためには甘やかすだけでは育たないからです。
RAPT有料記事128(2016年12月12日)豊かに聖霊を受けるための基本的な信仰の4つの柱。
その後は自分が『やったぶんだけ』祝福や聖霊を与えていただけるのですが、なかなか初期のような状態で生活できる次元ではありませんでした。
色んな欲が出てきたり、あらゆる誘惑があり、その度に負けそうになってはなんとかお祈りしたりして打ち勝ったりの連続で、
常に恵みで満たされていると言うよりは、本当に一歩一歩、
満たされてはズレないように、自分が悪に流れないように必死に神様の方に向こうという日々でした。
なので、もっとあの聖霊に満たされた状態で生活できるようになれば、罪や二心を無くさなきゃとばかりもがく以上に、神様のために捨てたいと思えるのではと思ったのです。
とにかく、今回の裁きを機に、今まで従えてなかったや罪を徹底的になくしたい、 すべての御言葉に従えるようになりたい。今できなかったとしても、諦めたら終わりだと、やっと悟れました。
日中も御言葉を今一度読み返し、お祈りをしながらいつも以上に御言葉に従って生活するよう心がけました。
罪を無くしたい。二心を捨てたい。サタンに打ち勝ちたい。自分に打ち勝ちたい。
しかしどの自分の願いも神様への愛で行えますようにと。
個性才能を伸ばすのも、聖書を読むのも、罪の悔い改めも、神様のために行わなければ絶対にズレることを何度も経験していたからです
そして最初は形式的にしてでも、無理矢理にでも無くしたり行っていくうちに、心や愛がついて行くようになることも分かっていました。なので
初めは形式的になってしまうかも知れませんが、必ず愛で全てを行えるようにお導き下さいとお祈りをしていました。
そんな中の明け方のお祈りで、初めのうち、 なかなか心情があっていないような、深く入らないと思いっていました。しかしこのまま帰りたくないと思って祈っていると、
大きな祈りを捧げたとき、すごく神様が喜んで下さったのが分かりました。
そして自分の御心について相談し、自分が何をやるべきか、神様が何をして欲しいか分かった時、ものすごく嬉しくて!
以前も、自分がどんなときに喜び、生きがいを感じたかと言えば、神様の心情がお祈りで伝わり、それを自分がどのように為せば良いかが分かったときでした。
神様の愛が伝わることももの凄く嬉しいですが、その愛に答えたい、恩返ししたいとやる気に漲ること、神様の為に働けることが何よりも嬉しいと感じたのです。
それが本当の「仕事」なのだなと思うのです。
神様が私達にして欲しいと思ってらっしゃることを御心といいます。
御心は、1人に1つ、必ず誰しもあるのです。その御心を祈り求めながら見つけ出し、神様と共に行うことこそが、人間にとっての本当の『生きがい』であり、価値ある生き方なのだと教えて下さいました。
RAPT有料記事135(2017年1月7日)神様の御心を見付けて行う者は幸いだ。
RAPT有料記事270(2018年4月23日)主と通じた人は、この世に生きながら天国にいるかのような喜びを味わって生きられる人だ。
そして、この喜びを得られたら、自分が捨てられなかったものよりも、神様の御心の方がもっとやりたい!と思って、今までより楽に捨てられるようになりました。
初期のあの聖霊で満たされた生活を送って神様を第一に愛したいと願っていましたが、このような形で叶えてくださったのですね。
先程も書きましたが、初期の方の恵みは、たいしたことをしなくても受けられましたが、今は行った分に応じてしか受けられません。そしてそれを維持するためには行ない続けなければいけません。
そして、それをなす為にはさらにもがきが必要です。
だからこそ、行った分だけ得られるものも大きいのですね。
また、ただ恵を受けることが目的では無くて、神様の御心を為すためです。
実際に罪や二心があると、神様と疎通しにくくなります。罪がある状態では実感しにくいですが、悔い改める程それが分かるようになりました。
御言葉に従うほど、自分の中の限界が突破でき、もっと御言葉に従いたいと思えるようになるのです。
今回この事が悟れたことで、実際に目がふさがれていた部分が色んな面で開かれるようになり、少し前に理解できなかったことができるようになったり、それが次々と見つかったりと、自分でも驚いています。
一見罪を無くすことや、御言葉に従うことは常識から外れたことなので、難しいと思いがちですが、できるようになりたいと求めながら実践していくうちに神様ができるように必ず導いて下さります。
そしてできるほど本当に思っても見なかった素晴らしい体験ができます。
皆さまが嘘の常識から抜け出して、真理も中で祝福されて生きられますように。
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