私は3人兄弟の末っ子で、女の子1人だったので、両親から特別扱いされていた面がありました。特に父からは余計に可愛がられて、甘やかされていた部分もあったかと思います。
「してもらうこと」や、例えば実際に食事などを分けて「もらうこと」が当たり前だと思って生きてきました。
ものに対する執着心は余りなかった方だと思いますが、
親元を離れ、特にお金や生活を意識するようになると、
時に、自分から「あげること」や「してあげること」は、どこか損をするような気がしていたこともありました。
一方で、子供の時から受験勉強などに奔走する生き方だったため、何をするにも「しなきゃいけない」「正しく生きなければ」という義務感が自分の行動原理になっていました。
自分の子供が生まれてからもそうだったくらいです。
この自分の考えは当たり前のように根付いていたので、間違っているなどと、つい最近まで全く意識もしていませんでした。
RAPTさんの存在を知って、RAPT理論を解かれたり、神様から啓示を受けられて御言葉を伝えて下さったりと、本当に神業だと思いますし、今でも知れば知るほどその凄さに驚かされています。
しかし実は御言葉を読んで私が何が一番驚かされたか、いや不思議だったかといえば、
本気で兄弟姉妹が、救われ、人の救いを願い、行動されている事でした。
確かにRAPT理論を知って、この世の中が悪人に支配されていると分かった時は、この世の中をどうにかしたいと思いましたし、御言葉を聞くとその思いも一層強くなりました。
人を救いたいという思いが強くなっても
どこかで、人が自分より優れていたり、幸せそうだと劣等感や嫉妬心が湧く自分がいて、
むしろそれが誰もが持つ 当たり前の 感情だと思っていました。
御言葉では、聖書でしてはいけないと書かれていること、自分から出る悪なる感情は全て『罪』だと教えて下さいました。
しかし御言葉を読み始めたばかりの私は、罪を無くさなければいけないことの重要性がいまいち理解できず、この何十年と当たり前に持っていた感情がなくなるなんて思ってもいなかったのです。
なので、RAPTさんから、そのような自分から出る悪なる感情を微塵も感じない事が私は一番不思議だったのです。
しかもそれは偽善では全くなく、 「心情」が神様そのもので、100%神様と人の救いのためにしてらっしゃることが伝わりますし、そんな方がこの世の中にいるのだと思ってしまったくらいでした。
御言葉で、 神様が『与えたい』神様なのだと教えてくださった時も、本当に驚きました。
今まで自分がそんなこと考え事がなかったので、先程も書きましたが、むしろ与える事は損だとすら思っていたこともあったくらいでした。
なので神様にあまり求めて神様の負担にならないだろうかとか、初めのうちは考えてしまっていました。
もちろん、神様の心情にかなったお祈りを捧げてこそ喜ばれますし、より聞かれます。
しかし、神様は人間の考えとは全く違うのだ、人間の小さな狭い考えとは比べ物にならない、与えることを喜ばれる神様なのだと教えて下さり
このことを知った時は、本当に人間と神様のお考えの違いに唖然としてしまったのですね。
RAPT有料記事348(2019年2月2日)祈った者だけが神霊になり、超人的な力で主の御心を成すことができる。
そんな中、信仰生活も色々と分かる部分が増えてきて、人間がどれだけ狭い考えで生きてきたか、 神様がどれ程偉大なお方で、神様のお考えは人間の考えでは計り知れないのだということを体感として分かっていくようになりました。
実は最近まで、ある欲に取り憑かれていて、お祈りして改善されたと思うとまた戻りの繰り返しでなかなか抜け出せませんでした。
RAPT有料記事163(2017年4月15日)人間は神様の御言葉によってプログラムされ、聖霊という電磁波によって動く超精密なコンピューターだ。
罪は一度犯してしまうと常習化して、サタンの言語でプログラミングされてしまうとこの御言葉でありましたが、自分もそうなってしまっていました。
世の人を見ても、お酒やたばこ、異性、物欲、など、何かに依存している人は沢山います。しかしそれを罪だと思っていないので、無くそうとしませんし、無くせるとも思っていないと思います。むしろ良いことだと思っている人も多いかと思います。
しかし御言葉を学んでいる私達は、「真理」を知っているからこそ、それが悪いことや、祈り求める事でそこから抜け出せるように神様が導いて下さることも、実践することで体感できるようになっていきます。
今回私も年末の裁きで裁いてくださった事で、ようやくなかなか捨てきれなかったものを捨てる決心がつきました。
なぜ頑なに捨てらなかったかといえば、どこか「損」をするのではないかという思いを拭い去ることができなかったからなのだと、思います。
裁かれたと思ったときは一瞬落ち込みそうになりましたが、悔い改めたとき
身も心もなんて軽いのだろう!と、感動しました。
これも単に偶然だと思えないのですが、立て続けにちょうど欲しいと思っていたものが実家から送られてきました。
神様が、自分であくせく得ようとしなくてもちゃんと与えてあげるから大丈夫だと、私に教えて下さったのが伝わってきたのです。
RAPTさんは、全てを神様の為に生きるから軽いのだと仰られました。
このお話をお聞きしたときは、まだちゃんと悟れませんでした。
しかし今回罪を悔い改めて思いました。
欲というのは自分に向いている気持ちです。
それが1つ無くなることで、その自分に向いている思いも時間も神様の為、人の救いのために向けることができ、それだけで気持ちに余裕ができたり、時間も有効に使えたり、
与えたいと、より思えるようになりました。
罪は愛を妨げるものだと教えて下さいました。
RAPT有料記事530(2021年1月23日)全ての罪を悔い改めて捨てていくなら、その人は神と同じく愛となり、愛の歴史を成していくようになる。
世の中のカルト宗教は、心を無にしなさいと言って、実践すると本当に「虚無」になるしかありません。
しかし、神様が仰られる罪を無くし、自分を捨てて神様に委ねるほど人生が好転していきますし、何より「愛」を悟れるようになることが本当に嬉しいのです。
https://bread-life777.com/0019-2
欲を捨てて、損をするどころか、色んな事が好転しました。
自分でも思っても見なかったことなので驚いているのですが、すると更に御言葉に従いやすくなったのです。
この世の中は、 金銭欲、名誉欲、異性など、 欲を満たすことが幸せだという風潮をサタンの手下になっているインフルエンサー達が流しています。
その話を聞かなくても、お金のため、生活のため、異性を手に入れるために生きるというのは誰もが持っている考えだと思います。
本当は、人間は神様の為に生きてこそ全てが満たされます。
世の人は何のために生きれば本当に満たされて生きられるかを知りませんので、当たり前のようにそのような欲を満たすことが幸せだと思っている人がほとんどではないかと思います。
しかし実際にそのような生き方をしても最終的に幸せになれる人は1人もいません。
御言葉では、目に見える欲を満たすことばかりして生きていると、「霊」が苦しむのだと教えて下さいました。
私達はあまりに「霊」の存在を知らずに成長してしまいましたが、確実に「霊」は一人に一つあります。私も鈍感でしたが、 神様が喜ばれているか とか、「霊」 を意識して生活することで、少しずつですが感じることができるようになってきました。
「霊」を生かし、成長させなければ絶対に幸せにはなれません。
悪人達は、人間が救われないために「霊」や「神様」存在を隠してきました。
裏を返せば、この事を悟り神様を愛し、「霊」を成長させれば、いずれ必ず『肉』的にも満たされてもっと素晴らしい生き方ができるようになるのです!
神様は御言葉で、時に厳しくあれをしなさい、これをしてはいけないと仰られます。
罪を 悔い改める事も、何度も口を酸っぱく仰られます。初めのうちは、ただ厳しい、なんでそこまでしないといけないのかと思われるかもしれません。
しかし今回、罪を無くしたいと切実にお祈りする私に、神様は時に悟りをお与え下さったり、時に聖霊によって清めて下さったり、それでも無くせなく、祈り求める私にまた違った角度から悟りをお与え下さったり、
本当に求めるほど私に働きかけて下さいました。
ただ上から『ああしなさい』と言い放つだけではなく、どこまでも私達の事を思って、実際に働きかけてくださる神様なのです。
神様の厳しさも、本当に『愛』なのだと改めて実感しました。
罪がないほうが本当の幸せに近づけることを誰よりもご存じだからなのです。
神様がこんなに私達のために実際に働きかけて下さったという経験をするほど、義務感や形式的だった部分がそぎ落とされて、もっと神様の為に働きたいという思いに変わっていきました。
そこに感謝の心が生じ、幸せだと感じるのですね。
今の自分はそんなに不幸ではないと思っている人も沢山いらっしゃるかも知れません。
しかし、御言葉に従うほど、自分はどんなにみすぼらしい生き方をしていたのだと振り返って気付かされます。神様からご覧になられてRAPTさんのような生き方ができていなければ誰1人満足した生き方ができているとは思われていません。
だからこそ、救いたいと神様は切に願われて、この御言葉を宣布して下さっているのです。
この世の常識から抜け出し、「霊」の目が開かれ、御言葉によって本当の幸せを享受できる人が1人でも多く救われますように。
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