この世の中では、「今の自分に満足しなさい」「そのままでいいんだよ」
という言葉を聞くことがあります。一見心地よい言葉ですし、「努力しなくてもよい」事を肯定してくれるので、安心するかもしれません。
しかし、そのような考えで生きて一生本当の幸せの中で生きることができるでしょうか。
御言葉では、常に成長し続ける事。新しく生まれ変わること。今の自分で満足してはいけない。
大きな目標を持ちなさい。世界を目指しなさい。と仰られます。
RAPT有料記事256(2018年3月5日)2023年まで待たずともサタンの全勢力を滅ぼすことも可能だと考えて、サタンの滅びを徹底的に祈りなさい。
RAPT有料記事143(2017年2月4日)自分で勝手に自分の限界を定めるな。誰でも世界的な人物になれる。
RAPT有料記事602(2021年11月1日)変化せず成長しない人は、希望のない空しい生を生きるしかない。しかし、常に変化し成長する人は、喜びと希望に満たされ、真の成功と繁栄の道を行くことができる。
この御言葉の考えを知った時、あまりにも自分の生き方と違う考えでしたので、心からそう思う事がとてもできませんでした。
この世の中では、『いかに安定した職につくために良い学校に入るか』を主眼として教育が成り立っていますし、だいたいの親が同じ考えです。
御言葉に出会う前は、足りない自分を自覚していながらも、他の部分はそれなりに幸せですし、このまま何事もなく生きられれば・・。と思っていた部分もありした。
なので、RAPTさんのような生き方を日々ブログを通して拝見させていただき、この方のような波乱万丈な生き方はとても自分とはかけ離れすぎている。
安定を求めている人にとって、リスクを取りながらも目標に向かって生きている方が、あまりに雲の上の存在に見えるのです。
一方で心のどこかで自分もそうなってみたいという思いもありました。
しかしあまりにも能力がないし、何より大変そうだと思ってしまう。
御言葉を読む前の自分はそのような考えでした。
そんな私でしたが、ある御言葉を読んで考えが変わりました。
RAPT有料記事171(2017年5月13日)あなたが世界的な祈りを捧げてこそ、世界中の人々に祝福が与えられる。
私達を創造してくださった神様は、私達が世界的に栄える事を心から願ってらっしゃることを知ったからです。
親も自分の子供が大きな目標を持って努力する姿を見て嬉しいように、神様も私達にそのように望まれていらっしゃるのです。
なので御言葉を読んで、怠惰な気持ちから抜けきれなかった自分でしたが、神様の心情を知り、変わりたいと思うようになりました。
しかし、考えと行動の方向性が何よりも大事です。
神様の考えは、この世の中の考えとは全く違います。
世間では、生活のため、お金を稼ぐため、富や名誉のために有名になろうとします。ほぼの人の生きる目的はここが第一ではないでしょうか。
御言葉では、人間は「霊」が神様に繫がり成長して行かなければこの世だけでなく、あの世でも本当の幸せは得られない事を詳しく教えてくださっています。
人々を神様に繋げてあげることが本当の『愛』であり、そのために生きる人を神様はどこまでも祝福してくださるのです。
しかし、神様の存在をサタンやサタンを拝む者達がひた隠しにしてきましたので、知っている人はいません。
なので人々に教えてあげなさいと仰られます。
そのためには色んな能力が必要です。正しい思いで神様に祈り求めれば、神様は与えてくださります。もちろん実践、努力は必須です。
そのように生きる事で、本当の実力がついていくのです。
私も、神様の事を伝える度に自分の力のなさを実感し、もっとこの能力を伸ばしたい、と色々考え、祈り、実践したりしてきました。
特に、御言葉では個性才能を伸ばしてその分野で御心をなして行きなさいと仰られています。
私は洋裁が好きだったので、ここを伸ばそうと今学んでいるのですが、ある時、ワンピースを作るのに生地を切ったままそのままにしてあるのを見つけて、作ってしまおうと思い作業にとりかかりました。
しかし、自分が当時切った生地を見て愕然としました。
あまりに寸法がめちゃくちゃで、私は、こんな適当に行っていたのかと。
はい、私は感覚で生きてきた人間で、細かい作業が好きな一方ズボラな面がすごくありました。
そのため何かを作るにも、必ず最後に直すことばかりに時間がかかっていました。
それでいて、「自分は服が作れる」なんて思っていたのです。
お恥ずかし限りです。
これは個性才能だけではありません。
罪を悔い改めるにしても、今まで当たり前のように持ってしまっていた嫉妬、不安心配、高慢、プライドなどの悪い感情。
それが罪だとも思わずに生きてきましたし、治すものだとも、治せるものだとも思っていませんでした。
しかし、悪い感情は全て罪だと知り、日々明け方悔い改めていきました。
そして、実際にその感情がなくなる程、すごく心が軽くなり、こんな世界があったのかと思ったりするのです。
御言葉を実践するほど、
今までどんなにみすぼらしい生き方をして、闇の中で生きてきたのだろうと思い、もう絶対に戻りたくないと思うのです。
御言葉を読む前の考えで生きていたら、どんなに絶望的な生き方をしていたことだろうと思い、恐ろしくなってしまいます。
神様は、足りないと思い努力する人を見て手を差し伸べてくださります。
RAPT有料記事53 (2016年3月26日)自分の足りなさをどれだけ認められるか。
神様に繋がらずして目に見えるものをあれこれ得たとしても、本当の意味で満たされる事はできないのです。
・不満を抱えながらも安定を目指し、結果的に悩み心配が耐えない日々を送るか
・リスクを取りながらも完全を目指して努力するか。
前者でしか生きられないと思っていた私が後者のように生きるようになって、今は完全で無くても、少しずつでも成長していけることが日々希望なのです。
しかもリスクを取ると言っても、神様のために受けたものは、必ず神様が返してくださり、必ず成長に繋がります。
誰でも御言葉を実践し努力すれば、本当の生きがいのある人生を送れますし、神様は人間誰もがそのように生きることを願ってらっしゃるのです。
以前、父の法事に出たとき、お坊さんが「何も考えなくて良い、無になることが大切なのだ」と話し、親戚が心を奪われたかのように「うんうん」と頷いていて、ぎょっとしてしまいました。
甘いサタンの言葉に騙されてはいけません。
洗脳から一人でも多くの人が解かれ、本当の実力を正しい考えで身につけて実りある生き方をされますように。
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