前回までの記事はこちらです。
前回は、北海道開拓時代、全国から集まったのは在日、後の創価に繋がる人脈だったことを記事にしました。
その布石を作ったアイヌ記念館の館長「川村カネト」の息子「旭川アイヌ協会」会長はキリスト教で講演していたわけですが、
今回は「アイヌ」と「キリスト教」について書いていきたいと思います。
結論を書きますと、キリスト教を装ったユダヤ人が悪魔を拝むアイヌ民族と共に「NWO」をしようとしています。両者とも「同族」だからです。
「アイヌ」と「キリスト教」
前回、 神戸国際キリスト教会の牧師が主催した、「人権」について考えるシンポジウムなるものが、神戸市で開催され、日本側からはその旭川アイヌ協議会の 会長 川村兼一(川村カ子〔ネ〕トアイヌ記念館館長)らが参加したと書きました。
「誰もが加害者・犠牲者になり得る」 外国人居留地設置150年の神戸で人権考えるシンポ : 社会 : クリスチャントゥデイ
このシンポジウムは、あらゆる「差別」を無くしたいという人が集まっているようですが、その実体が、「反日グランドマスター」だの、危険な人物ばかりだと指摘されていました。(こちらから)
この件については次の記事に書いていきたいと思います。
また、アイヌを進める鈴木宗男と仲の良い「佐藤優」も「 チュチェ思想研究会 」であり、「 創価学会 」であり、 「 日本基督教団 」です。
作家の佐藤優氏は、2017年9月から12月にかけて創価大学で計10回の「課外連続講座」をおこなった。本書は、その内容をまとめたものである。
佐藤氏は日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒であり、神学者でもある。
一方で、佐藤氏は創価学会と公明党に深い関心をもち、この数年、精力的に関連の著述も重ねてきた。
「アイヌ」伝道に尽力した聖公会「 ジョン・バチェラー 」の正体
「アイヌ」と「キリスト教」 は昔から深い関りがありました。
明治18年、「アイヌの父」とも言われる、イギリス聖公会の「ジョン・バチェラー」というキリスト教の宣教師が アイヌ語を学び、 アイヌへの伝道に尽力したそうです。
函館時代
香港で学んでいる時健康を害して、1877年(明治10年)に、静養のために函館に来た。函館で伝道している中で、アイヌ民族のことを知り、アイヌ伝道を志す。
バチェラーは、1879年(明治12年)に、CMSの信徒伝道者に任命され、函館を拠点にアイヌへの伝道活動を始める。1879年にアイヌの中心地の一つである日高地方の平取を訪問した。ここでアイヌの長老ペンリウクの家に3ヶ月滞在して、アイヌ語を学んだ。
1882年(明治15年)にイギリスに一時帰国し、1883年(明治16年)に再び函館に帰任した。1884年(明治17年)、ルイザ・アンザレスと結婚した。
1885年(明治18年)、幌別村(現在の登別市)を訪れ、アイヌへキリスト教教育のほか、アイヌ語教育をはじめる。1888年(明治21年)、金成太郎を校主としてキリスト教教育を行なうアイヌ学校設立構想の下、金成喜蔵が息子の太郎をアイヌに教育を行うアイヌ教師とするために私塾の相愛学校を設立する。1892年(明治25年)、アイヌが無料で施療できるように、アイヌ施療病室を開設する。
札幌時代
1891年(明治24年)にバチェラーは、伊藤一隆を中心とする北海道禁酒会の招聘に応え1月1日函館を離れ、翌日札幌に移転した。札幌に自宅を持ち、自宅で聖公会の日本人信徒のためにバイブルクラスと日曜礼拝を始めた。また、札幌の自宅を拠点にアイヌ伝道を展開した。
1892年(明治25年)に札幌聖公会が正式に組織された。1895年(明治28年)には、平取と有珠で教会堂を建設した。1903年には北海道の聖公会信徒2895人中アイヌ人が2595人であった。
アイヌの向井八重子を養女にする。
病気の静養のためにたまたま函館に来たことになったと書いてありますが、「アイヌ」が「同族」だと分かっていたから来たに違いありません。
そもそも聖公会とは何かというと
カンタベリー大主教は、フリーメイソンですね。
カンタベリー大聖堂でフリーメーソンの記念礼拝、エドワード王子も出席へ : 国際 : クリスチャントゥデイ
聖公会については次回詳しく書きたいと思います。
バチェラー は、アイヌの災害支援や、アイヌの学校や病院の尽力したそうです。(こちらから)
聖公会の宣教師で教育者であった「ネトルシップ」が校長になっています。
本来「アイヌ」と「キリスト教」 は決して相容れない。
私はRAPT理論や御言葉を学んでいく中で、本来人間が正しく生きる考え「真理」を学んでいきました。神様がこの世の中を創造されましたので、その「神様」の考えが「真理」ということなのですね。
その考えが本来の「キリスト教」の考えなのですが、彼らが関わっている偽の「キリスト教」といかに違うか、少しご説明していきます。
そもそも、「アイヌ」は悪魔崇拝者であり、熊を神だと言ったり、表向き「自然崇拝」「万物崇拝」となっていますが、キリスト教は唯一神である 「ヤハウェ」という神様を信じ、偶像崇拝や自然崇拝を禁じています。
本物のキリスト教徒がアイヌの伝道に尽力したり、アイヌの学校の校長になるなどという事はあり得ないことなのです。
本物の神様は「善」と「悪」を完全に裂きますが、悪魔崇拝者達は、 「善」と「悪」をごちゃ混ぜにしようとします。そうすると「善」は「悪」によって変質し、「善」ではなくなってしまうからです。
神様は「善人」を守るために「悪人」を滅ぼすのです。
神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。
旧約聖書を読んだ人が、神様が悪人を裁いて殺しているから神様は残虐だという人がいますが、「善」を滅ぼそうとする「悪」を裁いて滅ぼさなければ、「善」が消滅してしまいますから、神様は「悪」を裁くのです。
この真理が本物の「キリスト教」の根底にあるのです。
悪魔崇拝者達は、神様に反逆するためにキリスト教の内部に潜入して、教理をねじ曲げ、今や既存のキリスト教の教会は完全に乗っ取られています。
キリスト教プロテスタントも悪魔崇拝者に乗っ取られている可能性大です。「日本基督教団」は在日・反日勢力と同一体でした。
彼らの一番の目的はここなのです。
「創価学会」 は「法華経」=「国常立尊」=「悪魔ルシファー」を信じており、「キリスト教」の神様と敵対しています。(こちらから)
なので、「創価学会」であり「キリスト教徒」であるということは、絶対にあり得ないのです。
創価だけで無く、キリスト教以外の全てのほぼ全てが「 国常立尊 」だの「天照大神」だの悪魔を拝む宗教なので、そんな宗教に属している人達が同時に「キリスト教」に属しているのであれば、それは「悪魔崇拝者」です。
北海道開拓を先導したのはフリーメイソン
「伊藤亀太郎」という人物の創業した「伊藤組」が、 明治31年(1898)ジョン・バチェラー 邸 を建てたそうです。
伊藤組 はその他に函館区役所、旭川偕行社、旧札幌駅、旧札幌郵便局、札幌独立基督教会クラーク記念会堂など数多くの工事を手がけています。
かなり重要な建築に携わっていますが、
北海道と言えばクラーク博士の像というくらい、 クラーク博士は有名ですね。
彼は、西洋式酪農のモデルを示すため「 札幌農学校第2農場」を作ったそうです。 今は国指定重要文化財となっています。この建築様式が、北海道各地の農家に取り入れられ北海道らしい農村景観を作ったそうです。
大地を拓く—開拓の始まり | AKARENGA(あかれんが)
そんなクラークはフリーメイソンだったと言われています。
ジョン・バチェラーのクラークも 敬虔なキリスト教徒で「自由・平等・博愛」のキリスト教精神を教え込んだといわれますが、
www.homas.sakura.ne.jp/hokkaido/sub19.html
そもそも本物のキリスト教は「自由・平等・博愛」なんて掲げていません。このスローガンはフリーメイソンがよく使うものです。(こちらから)
この伊藤組は、 社会貢献活動 としていわくつきのことばかりしています。
気になるものを挙げますと
まず、北海道地震は波形からして「人工地震」だと分かっています。
北海道を奪いたいがために起こしたのでしょう。
【重要】今回の北海道地震・大阪地震が人工地震であることを証明するグラフをこちらに掲載いたします。 (rapt-neo.com)
TALK RADIO 〈Vol.10〉 北海道地震と大阪地震は100%人工地震である。 (真犯人は麻生太郎・安倍晋三・東出融)
その復旧工事に携わることや「皇室」との繋がりがやたら深いこと自体、伊藤組は確信犯ですね。
夕張と言ったら李家の鈴木直道が中国に売り払った場所ですし(こちらから)
さらにバチェラー自身も 明治天皇から勲四等の勲章が送られています。
1908年(明治41年)12月~1910年(明治43年)4月の間、第4回英国帰国。バチェラーは、ルイザ夫人・八重子を伴って、シベリヤ鉄道経由で帰国。英国帰国直後に、日本から明治天皇下賜の勲四等の勲章が送られて感激したそうです。翌年秋、カンタベリー大僧正より神学博士の学位を贈られます。この間八重子は、バチェラー通訳により英国各地でアイヌについて講演をして寄付を受けています。
日本に帰ると、バチェラーは、明治天皇の観桜御会に招かれて、天皇に拝謁し握手を求められています。こうして、バチェラーは、アイヌ伝道者・アイヌ民族学者・アイヌ問題の権威者として、その名声は、日本全国に鳴り響いていたといわれます。
この バチェラー八重子 とは
「ジョン・バチェラー」に信頼したアイヌ豪族である向井富蔵が早く死んだため、娘の八重子がバチェラー の養女となったそうです。その後八重子は、イギリスで カンタベリー大主教から伝道師として任命され、平取や幌別の聖公会で伝道活動を展開するようになったそうです。
八重子 は アイヌ語 の歌集「『若きウタリ(アイヌ語で「同族」の意)』 を発表したそうですが、これは元から 「バチェラー」と「八重子」が『同族』だと分かっていたからでしょう。
そもそも「アイヌ」は「ケルト文化」と似ていますし、ユダヤ人が持ち込んだ悪魔教です。
フランシス・コザビエルが山口県と鹿児島県にまず先に寄ったのと一緒ですね。
フランシスコ・ザビエルと田布施システムの怪。明治維新は「清和源氏」の末裔による権力獲得のためのクーデターでした。
明治天皇から勲章を授かったということは、バチェラーはロスチャイルドでしょうか。
「明治維新」は北朝から南朝へのすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めだった可能性大。
悪魔崇拝者であるアイヌ民族と同族であるバチェラーなどの ロスチャイルド が結託して北海道を乗っ取ろうとしているということですね。
先程も書きましたが、天皇は「天照大神」を神としていて、 「天照大神」 は「アシェラ」という悪魔と同一視されています。そんな悪魔崇拝者からキリスト教徒が勲章を送られて喜ぶのは、
「アイヌ」も「バチェラー」も「天皇」も同じ悪魔崇拝者だからです。
「アイヌ」を通して北海道開拓に関わったキリスト教徒は全てそういうことです。
バチェラーが建てたキリスト教系アイヌ学校の Wikipediaにこんな記事を見つけました。
日本基督教会は、設立時からして教理がまず本物のキリスト教ではありません。
1941年6月24日-6月26日に富士見町教会にて創立総会を開催。創立総会は、「君が代斉唱」、「宮城遥拝」、「皇軍兵士のための黙祷」、「皇国臣民の誓い」の国民儀礼を以って開始された。創立総会は「われら基督教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすを以って第一とす」と宣誓。日本基督教会大会議長の富田満牧師が教団統理者に就任。教団統理は宗教団体法に基づく権限が与えられており、勅任官待遇であった。
「君が代斉唱」したり、 「宮城遥拝 =皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝、拝礼)する行為 」 をしたり。
キリスト教の神は、他の神を拝んではいけないと言っているのに、
は天照大神(アシェラ) を 拝む 天皇に向かって敬礼するなど、 キリスト教としてあり得えません。
また、当時の日本は天皇を神として崇めさせようとしていたわけですが
「人間」を「神」とすること自体、キリスト教の教理からは大きくかけ離れた行為です。これは「人間」を偶像とし、偶像を拝むという行為に他なりません。つまり、聖書の中で厳しく禁じられている「偶像礼拝」そのものです。
日本基督教会 は、キリスト教の教理をねじ曲げ、わざと骨抜きにして「キリスト教」のイメージを落とし、キリスト教を破壊するために悪魔崇拝者によって作られた組織なのです。
日本基督教会 教団統理者の 富田満 の記事です。こちらから転載します。
以下、ウィキペディアの「日本基督教団」の記事になります。
---------------------(以下、こちらから転載)
■伊勢神宮参拝
1942年1月11日、富田満統理は伊勢神宮に参拝して、天照大神に教団の設立を報告した。
「富田統理は十日夜行にて出発し、鈴木総務局長を帯同して十一日朝、伊勢大廟に参拝せられた。而して我が国における新教団の発足を報告し、その今後における発展を希願せられた。」
■天皇に拝謁
1942年11月26日、富田満統理は昭和天皇に拝謁。
「畏くも天皇陛下におかせられては軍団多事の際、政務殊の外御多端に亘らせ給うにも拘らず、特別の思召をもって26日午前10時宮中において各教宗派官長、教団統理者に拝謁仰付けられた。」
富田満統理は、この日の光栄を次の如く謹話した。
「本日特別の思召を以って私共宗教団体の代表者に対し、拝謁を賜りましたことは、宗教界においては全くはじめての光栄でありまして宏大深遠なる聖慮の程洵に恐悦感激に堪えないところであります。
申すまでもなく今日は大東亜戦争完遂のため、我国は総力を挙げてこれに邁進しているのでありますが、私共は特に宗教報国のために感奮興起して愈々一致協力祖国のため、大東亜共栄圏建設を目指して、凡ゆる時難を克服して行かねばならないと思います。
この日の感激を銘記して超非常時局に當り、匪躬の誠を致して聖恩の万一に答え奉らんことを期せねばならないと存じます。」
---------------------(転載ここまで)
「天照大神」とは、これまた聖書の神「ヤハウェ」に敵視されている「アシェラ」のことです。そして、天皇もその「アシェラ」を崇めていましたし、「国常立尊=ルシファー」をも崇めています。
それなのに、その天皇と会うことができたことを「光栄」だと言い、その栄誉をムダにしないためにも、天皇のために「大東亜共栄圏構想」を絶対に成功させなければならないとキリスト教の信者たちの前で述べたとのこと。
この「富田満」もまた完全なる悪魔崇拝者に違いありません。つまり「天皇」の一味だったのです。
富田満は、朝鮮のキリスト教信者に対して、キリスト教を捨て、天照を拝むように強制し、弾圧したそうです。
そして冨田の要請を拒否した牧師が、5度も投獄され、その後獄死しています。(こちらから)
完全にキリスト教ではありませんね。
更に細かいところに突っ込んでいきます。
バチェラー が建てた愛隣学校の 礼拝に、日本基督教会の信徒である片倉景光が通ったと書かれてあります。
片倉景光は何ものかと調べますと、
[ 旧仙台藩家老・白石片倉家第14代当主。キリスト教徒(日本基督一致教会の信徒)]
片倉家の家紋は九曜紋ですが、大本教も同じ 九曜紋を使用しています。
片倉氏の先祖は信濃国伊奈から陸奥国に来て伊達氏に仕え、伊達氏に従って出羽国置賜郡小松郷(現・山形県川西町)に移り住んだと書かれてあります。(こちらから)
信濃国伊奈 といえば、旭川アイヌ教会会長「川村兼一」の父「 川村カ子ト 」が建設に携わった飯田線付近なのです。
この付近には日本で唯一の「満蒙開拓平和記念館」があり、 この地域の人達が 満蒙開拓団として断トツに多かったとの理由で 建てられたことが分かりました。
つまり事地域の人達がユダヤ人の末裔だったからです。
大本教の出口王仁三郎もユダヤ人であり、満州にユダヤ人国家を作ると提唱した第一人者ですので、
やはり「アイヌ」を使って彼の計画を「偽キリスト教徒」=「大本教」や「創価」が進めてきたというわけですね
RAPT×読者対談〈第89弾〉ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。より以下抜粋
王仁三郎は、中国道院・世界紅卍字会の協力のもとに数人の側近と共に入蒙(満州・蒙古)する。
王仁三郎は、中国道院との提携によって道院の宣伝使としての資格をもっていたので宗教の布教には支障がない。
そこで「まず宗教的に進出するのだ」と語り、宗教的・平和的に蒙古を統一し、東亜連盟実現の基礎を打ち立てたいと考えていた。
しかし、出口宇知磨に渡した手紙には、「ことの成否は天の時なり・・・王仁30年の夢いまやまさに醒めんとす・・・」と記されていた。(前掲書*1)成功する確率は低いと見ていたのであろう。
「王仁蒙古入記」によると、「蒙古王国の建設よりひいて新疆、チベット、インド、シナの全土を宗教的に統一し、東亜連盟の実行を成就し、ついでロシア、シベリアにその教勢をひろめ、パレスチナのエルサレムに再生のキリストとして現れ、欧米の天地に新宗教的王国を建設し、国祖の使命を完成せん・・・」。
王仁三郎は、蒙古だけでなくさらに西に進軍することを考えていた。この構想に、協力してきた人々もたまげてついていけなくなるのであった。
後日王仁三郎は語っている。
「蒙古から中央アジアをへて太古のエデンの園、太古のエルサレムへの世界の源をたずねにいくつもりだった。
人類文明の源アルメニアについては、わしの『霊界物語』にくわしくあらわしてある。ノアの方舟のひっかかっとる山へも登る気やった。
いまの人類史の始点にさかのぼると、もうひとつまえのムー大陸時代の文明の研究ということがやかましゅうなってくるだろう。馬にのって、くる日もくる日も走りまくった。
一週間ほどして、もうだいぶエルサレムも近づいたやろと地図をみてがっかりした。針で突いたほどもうごいておらん。地球というものはなんと大きなもんやろう」。
関西の一流財界人の集まりである清交社主催の「出口王仁三郎氏にものを聞く会」での答えであった。
王仁三郎は、張作霖の配下でチャハル方面の実力者、盧占魁の兵に守られ、霊界物語(大正10年の第一次大本事件後に王仁三郎が書いた第二の経典)と西王母の衣装(能楽『西王母』の主役が身にまとう衣装。西王母は女の神様で、中国古典に出てくる救世主)を積んだ車を引いて、自身は盧占魁から贈られた白馬にまたがって蒙古草原を進軍して行った。
王仁三郎は、ダライ・ラマだ、ミロクだといって進軍する。各地で「聖者来る」といううわさがひろまり、人々が群れ集まって王仁三郎を拝んだという。
もくろみは、端緒についたかにみえた。
しかし、事態は暗転する。満州の独裁者張作霖は、盧占魁の勢力が拡大することに危機感を募らせ、討伐軍を派遣する。盧占魁は捕らえられ殺される。
王仁三郎は、捕らえられ銃殺一歩手前までいく。あえなく、蒙古王国は潰え去ったのであった。わずか4ヶ月ほどの夢物語であった。しかし、日本ではやんやの喝采が巻き起こったのだった。
ジョン・バチェラーから受洗された「江賀寅三」は、 後に中田重治の影響で聖公会を脱会して、 「日本ホーリネス教会」 の牧師になっています。
中田重治は、本多庸一の温情によりメソジスト教会の伝道師の仮免状を貰ったそう。
本多庸一 とは、日本メソジスト教会の初代監督です。
しかも、2人とも本多庸一も 中田重治 も青森県出身です。
日本メソジスト教会 は「フリーメイソン」「スピリチュアル」「全能神教会」「統一教」とも繋がるこちらも「キリスト教」を装った悪魔教です。(こちらから)
出口王仁三郎の満州を拠点にした組織「世界紅卍字会」が河豚計画(満州が失敗したためユダヤ人を北海道に移民させる計画)を進めてきたといわれていますが、
ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。
「世界紅卍字会」 のシンボルマークは青森県弘前市の「市章」と全く同じです。
■(世界紅卍字会の)主な会員
出口王仁三郎
出口すみ
内田良平
張海鳳
陳漢森
今小路了円
浅野和三郎
林出賢次郎
岡田茂吉
植芝盛平
堀川辰吉郎
谷口雅春
出口日出麿
出口直日
安岡正篤
笹川良一
笹目秀和
中西旭
五井昌久
伊與田覺
小田野早秧
呉清源
西園寺昌美
出口王仁三郎 も津軽藩主の娘から系図が出ていますので、彼らも同じ天皇家一族ということでしょう。
青森県の繋がりについてはもっと詳しくこちらに書かれています。
RAPT×読者対談〈第89弾〉ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。
RAPT×読者対談〈第130弾〉エボラ熱を広めた犯人は麻生太郎である。(現代日本を支配する藤原家=麻生家の闇)
中田重治 は 日ユ同祖論者で、 ユダヤ民族の回復 を主張しているそうで、ユダヤ人に間違いなさそうです。
日ユ同祖論
1932年11月に、淀橋教会で「聖書より見たる日本」という聖書解釈の連続講演を行う。 その中で、中田は教職は個人伝道や教会形成をすることよりも、キリストの再臨とユダヤ民族の回復のための祈りが優先事項である主張した。この中田の主張を受け入れる教職、信徒もいたが、米田豊ら五教授たちは批判的であった。
1933年(昭和8年)1月に聖書信仰連盟が大阪の自由メソヂスト神学校(現、大阪キリスト教短期大学)で設立され、中田が理事長に選ばれた。しかし、この年の秋に起きたホーリネス分裂事件の混乱で、実質的な働きをすることなく消滅する。
1933年4月に、中田は昭和天皇から観桜会に招待されて、夫婦で参加している。
全ては神様に反逆するユダヤ人
そもそも「NWO」をするのは「悪」で世界を統一するためであり、実際に幼児を虐待・虐殺し、悪魔の生け贄に捧げたり、幼児の血から採ったアドレノクロムを飲んだりする「悪魔崇拝者」です。
悪魔崇拝者はなんでそんなことをするのかといえば、神様に反逆するためです。
聖書を何十回も読まれたRAPTさんが、「悪魔崇拝者」たちが聖書に書かれてある神様の言葉と逆のことばかりしていることを解かれました。
アイヌについて調べていくと、 ユダヤ人の陰謀論を否定して馬鹿にするブログを見かけますが、陰謀論でも何でもなく、確実にユダヤ人、正確に言うと「偽ユダヤ人」であり、「偽キリスト教徒」である悪魔崇拝者が自分たちの悪なる支配を固めるために進めているというがお分かりいただけるかと思います。
また、「アイヌ」に日本基督教団のような「偽キリスト教」が関わっているから、「キリスト教」自体が悪質な宗教だと書いているブログも見かけましたが、まさにイルミナティがそう思わせるために、めちゃくちゃな教理の 日本基督教団 のような教会を作ってきたということを知っていただきたいです。
「アイヌ」に関わらず、コロナも、全ての悪巧みが彼らの仕業です。
ですがバベルの塔が神様によって破壊されたように、またこの計画も神様によって破壊され、絶対に上手く行かないでしょう。
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