2022年の祝祭日の証。ただの特別な日ではなく、明確な目標を持てた日

11月11日は神様に出会って救われた事に対する感謝をするお祝いの日です。この日は神様がサタンから守ってくださり、特別な所へ行って、特別なものを食べたり、霊的な恵みで満たされ、神様と特別な一日を過ごしなさいと仰られました。

神様に相談し、今年は一日ずらして迎えさせていただきました。

信仰を持って4度目の祝祭日。年によっては大きな恵みに満たされ、又とない経験をさせていただいたり、自分の罪が露わになった年もありました。

今年は、失敗してしまった去年の罪を悔い改めたり、今まで失敗した時は何がいけなかったのかを心に留めて迎えました。

とにかく、神様に出会わせて頂いたこと、RAPTさんを与えてくださったこと、RAPTさんを通して私達にこんなに豊に御言葉を与えてくださっていることに感謝をしようと心がけました。

そして自分の至らぬ点は素直に悔い改めますので教えてくださいと祈り求めていました。

しかし明け方、そのように祈ってもいつも以上に深く祈ることができず。。

「今年も裁かれてしまったのかも知れない。」「やっぱり自分はまだ祝福されるに値しないのか。。」

と落胆しかけたのですが、お祈りから帰ってから御言葉を読み返して、これかなという原因が見つかりました。

私は今まで肉的すぎて、行ないばかりしてしまっていたところがありました。しかし霊の重要性を身をもって実感してから、霊的に成長したいとずっと祈り求めてきました。色んな悟りを与えていただきながら、なかなか捨てきれなかった罪を悔い改めようと決意したりとしていくうちに、最近聖霊を感じられるようになってきました。

神様と疎通している感覚を感じたり、天からの霊に包まれていると感じることが本当に嬉しくて、あんなに肉的だった私ですが、「霊」にとても興味を持てるようになりました。

これは私だけの条件では決してなく、RAPTさん初め、今まで条件を立ててくださった方々の義の条件が天に積まれたことが一番大きいと思います。なので本当に感謝するしかありません。

ですが今度は「行ない」を疎かにしてしまっていたことに気付きました。

最近、重要なことをすると必ず眠くなってしまい、なかなかすぐに起き上がることができなくて負けてしまっていました。今までは5分もすれば起き上がって回復していたのですが、4本の信仰の柱を立てようとする度に一日に何度も睡魔が襲ってくるようになっていました。

明け方は何がなんでも起きて祈ろうと決意しているのですが、日中なかなか思うように進まなくなっている自分に妥協していました。

自分と神様との間にある障害の一つは自分の怠惰な心、甘えだと気付きました。

RAPT朝の祈り会(2022年11月分)

2022年11月10日(木)
今年の11月11日の祝祭の日をどう過ごすべきかについて伝えてくださった御言葉。神様との愛をさらに深めるために、神様と私たちの間で障害となる全てのものを取り除くと決心し、祈り求める日にしなさい。

頭では分かっていてもなかなか決意できなかったのですが、神様に祈り求めながら改善することをやっと決心することができました。

迎えた当日

その日は午前中に工事の人が来て、お風呂のドアを修理してもらってから出かける予定でした。

修理して貰っている間、少しでもつまずいていた部分を学ぼうと調べ物をしていると、それだけでも色々新しい発見があり、脳が活性化したのを感じました。

思えば今までも、霊的に行なうだけでなく、実質的に働いたときに新しい悟りや発展がありました。

大変なことを敬遠していた自分に気付き、本当にやらないだけ損していたことに気付きました。

霊と肉のバランスって本当に重要なのだなと実感しました。

RAPT有料記事398(2019年8月19日)気持ちだけの愛を、主は愛とは認めない。行いと成果の伴った愛だけを、主は本物の愛だと認めて下さる。

そうしているうちに、予定より早く工事が終わり、曇っていた天気が晴れてきて、気温も、もう最高の天気になりました!

今回は、明確に行き先を決めていませんでした。

以前、よく通る道を自転車で走っていたとき、その道から横に出ている道が妙に気になって、この先を走ってみたい!と感動がありました。神様に相談しながら、祝祭日はその道を自転車で走ろうと決めました。

その先の計画は特に立てずに臨みました。

地図を見ると、何があるかは大体分かってはいましたが、神様が導いてくださるのではないかと感じたからです。

今回選んだ方向は、坂の上ということもあり、ほとんど行ったことがありませんでした。近いのに未知な地域でした。というより、坂の上というだけで敬遠していました。

私の住む地域は道路を隔てて斜面になっているのですが、そこに住んでいらっしゃる人も多く、なんでこんな坂の上の不便な場所に住むのだろうとずっと思っていました。

地図上では登っていくと動物園があると書かれていましたが、そこまで行けるか分かりませんでしたが、いざ出発してみると、景色が次々と街並みを見下ろせる範囲が増えてとっても新鮮で爽快でした。

こんなに近くてよく聞く地域なのに、私は全く知らずに生きていたのかー!と。

そしてあっという間に動物園に着いてしまい、本当に驚いてしまいました。

その動物園には車や、バスを乗り継いだり電車を乗り継いだりしないといけないと思ってたのです。今まで何度も行ったことがありましたが、そのように行っていました。

まさか自転車でこんなに早く着くなんて思ってもいなかったのです。

固定観念にとらわれて世の中の生き方をしていくよりも、神様の考えでお導き通りに生きた方が、途中少し大変だとしても実は一番の近道なのだと、神様が示してくださった気がしました。

そして、今証を書いていて思いましたが、この御言葉はネット上で誰もが手に入るところにあります。

しかしそれを実践するかしないかで、こんなに生き方が変わってしまうのだと。

自分を幸せにして下さる御言葉や神様は本当はすぐそばにあるのに、その何より大切な存在に気付かないのは本当にもったいないと思いました


話は戻りますが、動物園には行くのはやめ、もう少し足を延ばして「ここに行けたらな、でも遠くてさすがに行けるわけないだろうな」と思っていた観光地まで走ってみることに。

すると少し道を間違えてしまったものの、意外にすんなり行けてまた驚いてしましました。


そこは観光名所で一度行ったことがありましたが、もう一度行きたいと思っていた場所でした。
 
入ったフードコート。もうどれも美味しくて、感動でした。
なんてことないフードコートだからどうかなと思いましたが、私にとっては大満足。忘れられません。

霊が満たされた状態で食べると、同じ食べ物も、ものすごく美味しく感じる時があるのです。

御言葉に出会ってから、そこまで高級品ではないのに、もうなんて美味しいのか!と感動したことが何度もありました。


坂を登ってきただけあって、そこは一面街並みを見下ろせる所でした。

まさかその場所がこんなに景色が見える場所だとは思ってもいなかったので、その景色を見た瞬間涙が出てしまいました。
私はお祈りで、神様がご覧になられている景色が見たいです。もっと広い視野で見られるようになりたいと祈り求めていたからです。



最近証でも書きましたが、私は普段本当に狭い範囲しか見えていないのだなと思いました。


神様は、今私が見ている景色よりももっともっと広い世界をいつもご覧になられていて、

そんな世界の中で人間は本当にちっちゃくて。

そんな小さな私達一人一人を顧みてくださるなんて、神様は本当にすごいなと思いました。

信仰生活をしていると誰もが感じると思いますが、私の心の在り方を神様は一つ一つ見てくださっているのを感じるのです。悪い考えになってしまう時も、良い考えを持とうともがく時も、ちゃんと見てくださっているのを感じるのです。

こんなに壮大で、かつ細部まで気を配ってくださる神様の偉大さと愛を感じました。

この景色で神様が私に何を伝えたいのかが伝わってきました。

どんなことがあっても頑張ろうと、神様の心情が伝わったこの景色は忘れられない光景となりました。

ちょうど人が来ない一角があり、そこで賛美することができ、また喜びで満たされました。神様が本当に用意をして下さっているのを感じました。



帰り道、行きとは違う道を通って帰りました。

ふと、「お土産にパンを買って帰りたい」と言う気持が沸き上がったのですが、なんとすぐ先に素敵なパンとケーキのお店がありました!

行きは全く見当たらなかったのに、神様がまた用意してくださったんだと感動してしまいました。店内も本当に素敵で、ワクワクしてしまいました。

いつも買わないケーキとパンを買って帰りました。

その日は娘が学校の行事で伝統的な踊りをクラスごとに披露するとのことで市の体育館に出かけて帰ってきていたところでした。

娘達は帰り道に少し迷ってしまったようで、お腹がすいたけど校則で買ってはいけないと言われているし、途中で「パン屋さんを横目に食べたくて仕方がなかったんだよー!」と、お土産をとても喜んでくれました。

さらに、なぜか私が行った観光名所は愛媛の「みかんもち」が売っていたので買っていったら、娘もちょうど道の途中に和菓子屋さんがあったようで、「「みかん大福」を売ってたから食べたかったんだ」と言われビックリ。

以前にもこのようなことがあったのですが、神様は私以上に家族が好きな物や必要なものをご存じなのだと感じたのです。

最後に一つ、娘からとっても心に残る話を聞くことができました。

その踊りの発表会の様子を娘が話してくれたのですが、

あるクラスの女の子が、とってもキレキレで素晴らしいダンスをしていたそうです。その上終始とっても笑顔で楽しそうに踊っていて、もうその子が一際、輝いて見えたそうなのです。

その子は小学生の時からダンスを習っていることは人づてで聞いていたのですが、

今までは特に目立った話を聞いたことがありませんでした。

神様は、誰もが個性の王様だと仰られます。

RAPT有料記事59 (2016年4月16日)この世の誰もが「個性」の王様だ。

誰でもその人にしかできない個性才能を、神様は与えてくださっているのです。

このような子が、神様のためにその個性才能が発揮されればどれ程素晴らしいだろうと思いました。

私自身も、このお話しを聞いたことで、神様が私達にどんな人間になるべきかを悟らせてくださったように思いました。

以前こちらのNANAさんの証を拝見したとき、「そうだ、個性才能は楽しく伸ばすべきなんだ」と嬉しい気持になりました。

神様に祈り求めたことで、個性・才能を磨いて楽しく御心を成せるようにと、想像を遥かに超えた最高の環境を与えて下さった神様の御働き(十二弟子・NANAさんの証)

その後すぐに、こちらの御言葉を聞きました。

RAPT朝の祈り会(2019年8月分)

2019年8月3日(土)
主に救われて堕落から回復した人にとって、文化・芸術を成すことは難しいことでも大変なことでもない。むしろ、楽しく恵み深いことであり、やらずにはいられないことだ。(人間は本来、文化的な生活を営むように創造されたと理解しなさい。)

そしてすぐその後の今回、この話を聞くに至りました。

実は今、なかなか個性才能が上手く伸ばせなくて、少し距離を置いてしまっていたところでした。

もっと分かるようになりたいのになかなか思うように理解できなかったり、時間が上手く使えなかったり。もっと成長したいという思いが空回りしていました。

個性才能も、成長しているときはすごく楽しくて希望が持てるのですが、なかなか進まないと、こんな自分で大丈夫だろうかとよぎってしまっていました。

主管したい、もっと上を目指したい

私はともすると信仰生活を受験勉強のように捉えてしまいがちでした。

今はもうそのように考えていませんが、誰かを蹴落とすことがトップに立つことなのだとか。

今回の話を聞いて、根本から自分の認識観がガラッと変わりました。

RAPTさんは悪人から攻撃されたり大変なことは沢山おありになられますが、本当に楽しんで使命を成されていらっしゃるのが伺えます。

神様から沢山のアイデアや御力を与えていただきながら、色んな事を乗り越えて実力を付けていくことで、神様への感謝と人々の救いをなし、自分自身が光り輝く存在になって伝道すること。

このように生きることを神様が全ての義人に求めていらっしゃるのだと。

まさにRAPTさんのように。

今回の祝祭日は終始沢山の悟りと感動を与えて下さった一日でした。

また、ただのお祝いではなく、その後の自分のあり方をもっと変えようと具体的に決意できた特別な一日となり、

見た景色、美味しい食べ物などを思い返し、今後 気が緩みそうになったり落ち込みそうになったときに必ず励みになるに違いないと確信しました。

このような素晴らしい私達兄弟姉妹たちにプレゼントをくださった神様、RAPTさんに本当に感謝します。

追記

祝祭日を期に、つまづいていた個性才能と向き合おうと決意したのですが、なかなか分からないと2日間神様に求めながらも悩んでいました。それから3日目のお祈りに行く前、ふと「こうすればよいのでは!」と思い浮かび、お祈りから帰って実践してみるとできました!

これで前に進めます。本当に神様に感謝です。

その分からなかった2日間、何も進められず苦しかったのです。無駄になってしまったと思いました。

しかし違いました。私が長いこと抱いていた別の疑問がこの悩みの期間にあれこれと実践してみることで解けたのです。

神様は神様のためにする努力を無駄にはされないのだと、本当に思いました。

RAPT有料記事19(2015年10月26日 )神様の下ではどんな努力も苦労も無駄にはならない。

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