御言葉では、「霊」の重要性を詳しく教えてくださっています。
私はその重要性がなかなか悟れず、「早く目に見える形で表したい」と思い、神様と疎通する事をないがしろにして
ある時から一日中個性才能に時間を費やすようになっていました。
その時は、自分の個性才能を主管したい!と本気で伸ばしたいとばかり考え、実践していました。
しかし、一つの個性才能でも、得意な事と苦手な事がありました。
例えば私は洋裁をしていますが、何かをアレンジしたりとクリエイティブなことは好きですが、型紙の取り方や見方、作る手順、作り方、縫い方、ミシンの設定など、苦手なことが沢山ありました。
それまでは、苦手なことは何となく適当に分からないまま行なっていました。
今まではそれでも形にはなっていましたが、神様のために働くにはそれではダメだと思い、「変わりたい」と強く思いました。
しかし御言葉を読むようになって個性才能を伸ばしていく中で、初めはとても新鮮な気持ちで行なっていたのですが、だんだん肉的にばかり行なうようになり、「しなければ」と戒めのように学ぶようになっていきました。
それでも、どうしても苦手意識が抜けませんでした。
なので本当にこの分野伸ばせるだろうか、、、という不安な思いが少なからずありました。
しかし自分の間違った考えや罪によってサタンに「霊」がやられてしまい、そこから「霊」の重要性を身にしみて実感したのです。
ボロボロの状態から必死で立て直すために、
御言葉をしっかり読み返し、四本の信仰の柱をできるだけ立てられるように、できていなかったところを見つけては実践してみました。
その間、個性才能は中断していました。
RAPT有料記事128(2016年12月12日)豊かに聖霊を受けるための基本的な信仰の4つの柱。
御言葉を読むほど、自分がどれ程間違った思いで個性才能を伸ばそうとしていたかに気付かされました。
根本の考えが全く違いました。
何よりも神様の考えや心情、悲しみや人類に対する愛、その思いを分かって差し上げること。
人類の救いを誰よりも願う神様の願いを自分の個性才能を使って叶えて差し上げる。
その心で行なってこそ、神様に喜んでもらえ、色んな実力も与えていただき、自分の霊や心も喜びで満たされることに気付かされました。
悔い改め、御言葉を実践する程、御言葉に対する考えがガラッと変わりました。
それまでは目に見えることをいかに上達させるかしか考えていなかったのですが、
霊的な恵みを受けられることや神様と疎通することがこんなにも素晴らしいことだったのかと、こんな世界があったのかと感動しました。
今までは霊的なことも肉的なことも戒律的に行なっていた私でしたが、大変さ以上に、思わぬ悟りや学び、恵みなど、今までの自分の常識を覆すことが沢山起きるので、その喜びや驚きの方が遙かに大きいことを知りました。
これは実践しないと味わえないことなので、まだ御言葉を知らない方は是非この素晴らしさを味わっていただきたいです。
行うほど自分の中身が満たされて行くのが分かり、外見では分からなくても、確実に自分が変わって行くのを感じていました。
肉的にばかり行うと、肉の刺激によって敏感な霊の波長が誤魔化されて気付かなくなってしまうのですね。
半年ほど、洋裁には手を付けずに御言葉やブログに徹していたのですが、お祈りで洋裁をやるべきかお尋ねしていました。私としては自分にできることはこれくらいなので、神様のために使いたいです。とお祈りしていました。
ずっと反応がなかったのですが、ある日の明け方、神様からやりなさいとい言って下さっている感覚が伝わってきて、その日からそのお祈りが深く入るようになっていき、実際に行動してみることにしてみました。
すると驚くことに、今まで苦手意識を持っていたことが、学べることが楽しいと前向きに思えるようになったり、
どうしてもちんぷんかんぷんだった型紙や服のメカニズムなどと向き合いたいと思う気持ちが沸き上がり、祈り求めながら実践していると、答えだと思える情報に辿り着くことができたり。
神様に祈り求めながら行なっていくことで、祈った通りに導いてくださっているのを感じるようになりました。
神様をないがしろにして目に見える成長だけを求めて必死で戒めのように行なうのとは、全く深みや理解が違うのです。
御言葉を実践していくと、神様がどれだけ偉大であり、且つ精密であるかを感じ、人間の力や考えがどれだけ小さいかを思い知りました。
RAPT有料記事557(2021年5月8日)考えるだけで行わない人は、死んだ人と何も変わらない。しかし行った人は、主が功績者として認めて豊かに祝福してくださる。
心のどこかで知りたいと思いながら、あれだけ苦手意識を持っていた型紙のことも、そういうことだったのか!と少しずつ理解できるようになっていきました。
分かってみるととてもシンプルに見えてきます。
「真理」を知ることが本当に大切な事なのだと思いました。
霊的な条件のつまみ食いをして、自分好きな事ばかりをしていたときは、肉的にもそれなりにしか成長できませんでした。
それを乗り越え、霊的な条件もできないと思っていた条件を立て、苦手意識がなくなった事で、肉的にもそれが反映したのではないかと思います。
RAPT有料記事398(2019年8月19日)気持ちだけの愛を、主は愛とは認めない。行いと成果の伴った愛だけを、主は本物の愛だと認めて下さる。
|RAPT有料記事605(2021年11月13日)肉は神のようになれないが、霊は神のようになれる。だから霊を成長させれば、神のように苦手なものを全て克服して万能になり、この世でもあの世でも栄えることができる。
あのまま肉的にばかりしていたら、限界は絶対超えられなかったと思いますし、自分では神様が共にしてくださっていると思っていたつもりでも、
つまみ食いをする人より従順に従う人に望んでくださるのは当たり前です。
こんなに考え方がガラっと変わるなんて思っていませんでした。
裁かれる前、個性才能を伸ばすのは、楽しい部分もありましたが、戒めのように行っていた部分もありました。
しかし今は、何が一番違うかというと、神様に喜んでいただけることが本当に嬉しいのです。
そう、神様への愛があるのとないのとでは、同じ個性才能でも面白さや、やりがいが全く違うのです。
そして個性才能だけでなく、人生の答えを与えていただける喜びを一層感じるようになりました。
私は目にみえる成果を早く出したいと思って、楽をして、得をしようと罪を犯してしまってたわけですが、
神様に近づく努力こそ、本当のあらゆる面での実力に繋がるのだと実感しました。
霊と肉は、このように密接に繋がっているのですね。
私はまだまだほんの一歩を踏み出したところですが、
本当に御言葉の通りだと身をもって実感させていただきましたので、証させていただきました。
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